二月十五日(月)丁卯(舊正月八日・上弦 曇天のち氷雨

 

今日は、中仙道を歩いた方々と横濱港を散策しました。今回の『〈中仙道を歩く〉感想文集』作成に關して、いろいろとご協力と聲援を送つてくださつた氣が置けない方々です。 

櫻木町驛に午後二時集合といふことでしたので、少し早く家を出て、鶴見の西田書店を訪ねてみました。何年ぶりでせうか。廉價本から、學術本、稀覯本まで層の厚い書物が店内を埋めてゐました。ぼくは、安い一〇〇圓の文庫本と、丸山茂著『国文学研究史』を求め、それから驛前で晝食。朝飮むはづの藥を飲んで、それから櫻木町驛に向かひました。 

總勢は八名。今回のリーダーの渡辺さんはじめ、川野さん、永田さん、楓さん、疋田さん、森さんに、大塚さん、そしてぼくの八名でした。

 

散策の行程は、櫻木町驛から歩きはじめ、日本丸は休館でパス。汽車道をそぞろ歩いてゐたら、なにやらぽつぽつと降りはじめ、急に寒くなつたので、ワールドポーターズといふ建物に入りました。でも、おぢさんたちがぞろぞろ入つて行くのはためらはれたので、すぐに出て、赤レンガ倉庫に向かひました。 

ところが、汽車道のレールがまだつづいてゐて、永田さんがこの先に「舊横濱港驛プラットホーム」があるよ、といふので行つてみました。いやあ、知りませんでしたが、説明板には「明治四十四年(一九一一年)に横濱税關構内の荷扱所としてつくられ、大正九年(一九二〇年)七月二十三日、『横濱港驛』となり、東京驛から初の汽船連絡列車が乘りいれました。列車はその後、『岸壁列車』などと呼ばれて親しまれました」とあり、ひとつ勉強になりました。

 

それから赤レンガ倉庫に入り、コーヒーなどを飮みながらしばらく歡談しました。渡辺さんは圖書館で借りて、川野さんはすぐに讀みたいために購入して、お二人とも佐伯泰英をすべて讀んでゐるさうなのであります。ぼくは伊豆にゐたときに讀みましたが、「密命」、「居眠り磐音」、「吉原裏同心」、それに「古着屋総兵衞」などのシリーズを、それでも八十數冊讀みましたが、それからもつと出てゐるんでせうね。まだ手にしてゐない、「酔いどれ小藤次留書」と「鎌倉河岸捕物控」シリーズを讀みたい氣分になりました。 

なんて考へながら出てみると、雨が本降りになつてきました。もちろん中仙道を歩いてきたぼくらにとつては屁のかつぱでしたが、寒いのがこたへます。象の鼻パークを經て、大棧橋の旅客ターミナルをのぞいたあと、近くの無料休憩所で休むとともにビニール傘を買つてしまひました。

 

でも、中華街はすぐそこでした。朝陽門から入り、媽祖廟の前で寫眞を撮り、さらに關帝廟を訪ねるなど、はじめてのところをあちこち見回しながら、やつと萬來亭にやつてきました。五時開店だつたからです。 

注文は渡辺さんにおまかせしてしまひ、まづは新しい會の發足を祝つて乾杯をいたしました。飮んで食べて、そして、お開きの前に、集まりの名稱を、『東山會』に決めました。「とうさん」と呼んでも、「とうざん」と呼んでもいいことにしました。で、次回は五月にして、場所などは未定ですが、日にちも決めました。

 

關内驛までの道がまた寒くて、雪になつてもおかしくない冷たさでした。參加者は、近い人は磯子、遠い人は埼玉や茨城でしたが、まだ七時だつたので、慌てることもなく電車に乘り込みました。ただ、おみやげをどうするかで、惱んでゐた人がゐましたが、その後どうなつたでありませうか? 

 

今日の寫眞・・西田書店。それと、横濱港散策の記念寫眞の數々。

 



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