二月十七日(水)己巳(舊正月十日 晴のち曇り

 

昨晩、風呂上がりに體重を計つたら、なんと、今までで最高の値を示してゐました。これはいけないと一晩中、といふほどではありませんが、考へたあげく、これは歩くよりほかはないと結論を出しました。中仙道を歩く旅が月一とはいへ、苛酷ではありましたが、體調を保つためにはよかつたのだと、今さらながら懐かしく思ひました。

問題は現在です。と、ちやうどそこに、先日ネットの〈日本の古本屋〉で注文した『後撰和歌集』が屆いたのであります。期待して開封したところ、なんと影印本ではありませんでした。注文したのは、たしか、ノートルダム清心女子大學古典叢書だつたのです。手元には、同じシリーズの影印の『金葉和歌集』と『詞華和歌集』があり、それと同じ影印本だと思つたから注文したのでした。しかし、翻刻版だつたのです。このままでは支拂はなければならなくなるので、いつそのこと、お店を訪ねて返却しやうと思ひ立たのであります。 

まあ、それで、散歩と返却のどつちがついでだか、どちらでもいいんですが、お店は早稻田通りですから、まづは訪ねて返却し、そこから、早稻田通りを、神樂坂を經て神保町まで歩いてみようと決心いたしました。 

 

空は晴れて暖かいし、それで町屋驛まで行き、そこからチンチン電車で面影橋に向かひました。熊野前、王子驛前、飛鳥山、庚申塚、大塚驛前に雑司が谷を經てのんびりと走り、およそ五十分かけて面影橋に到着。早稻田通りまでは、少し坂道を上るので、ついでならと、公園を通りました。甘泉園公園といつて、けつこういい庭園でした。 

茶に適した湧き水があるので名づけられた、「江戸中期の安永三年(一七七四年)德川御三卿の一つ、淸水家の下屋敷」跡のやうです。その湧き水が溜まつた池では、なんと蝦蟇がはげしく交尾をしてゐるではありませんか。ぼくはなんとなく、がんばれ、とそばでしばらく聲援をおくつてあげました。 

公園の中の小道を上りきると、そこは水稻荷神社の參道で、そこにはまた、「堀部武庸加功遺跡碑」といふ、堀部安兵衛の碑が建つてゐました。まあ、このあたりが、かつての高田馬場の跡のやうであります。 

本屋は渥美書房といひ、けつこういい國文學や古典籍などが揃つてゐるんですが、店舗が狹いのが難でせうか。以前にも訪ねたことがあるお店でした。譯を言つたらすぐに分かつてくれましたが、送料だけはがつちり取られてしまひました。

悔しいので、例の明治元年創業の八幡鮨に入り、「早稻田名物特製江戸前ばらちらし」といふのを注文し、自棄食ひ、のわりにはとても美味しくいただいてしまひました。 

 

さあ、腹ごなしもかねて、早稻田通りを歩きはじめました。穴八幡神社をあとに、陽當たりのいい向つて左側の歩道を歩いて行くと、ブックオフがあつたのでちよいとのぞき、外に出ると落馬地藏といふのが目にとまりました。かはつたお地藏さんだなと思ひながら、その由來を讀むと、「江戸幕府三代将軍 德川家光公が遠乘りに出てこの地を通過のみぎり 突然乘馬が驚奔し落馬された 怪しんでその地を探させると 土橋の下より この地藏が出現 公いたく畏怖して祀ったと謂う」とありました。

やはり變はつてゐました。すると、その先に、こんどは地藏坂といふ曲線を描いた坂が現れ、いきなり道幅が狹まりました。いよいよ神樂坂のやうです。赤城神社の前を通り、けつこう急な坂を上つたり下つたり、神樂坂と呼ぶにふさはしい坂道のつづく通りでした。ついに、飯田橋驛が見えてきたところで喫茶店に入り、しばらく休憩、いささか居眠りをしてしまひました。 

飯田橋驛前には、牛込見附跡の名殘なのでせう、道路を挟んで石垣が殘されてありましたし、交番の脇には、牛込橋の説明板とともに、石垣用なのでせうか、大きな長方形の石が置かれてありました。 

 

つづいて富士見町教會を素通りし、その先を左に折れて、大神宮通りを進むと飯田橋一交差點に出ました。神保町はもうすぐです。たしかに、地圖で見るより歩いたはうがずつと近く感じます。 

ですが、ここからが正念場です。専大通りを進むといきなり神保町の交差點方面に行つてしまふので、台所町跡といふ標柱のところを左手に進み、新川橋を渡りました。上には首都高速5號池袋線が走つてゐます。が、さらに行くと、やつと見慣れた光景が現れ、まづ、西秋書店を訪ねました。 

やはり、『後撰和歌集』の影印本はないやうです。つづいて訪ねた日本書房にもありませんでした。ただ、たいへん高價な和本はあるやうでしたけれども、もちろんぼくの柄ではありません。安價であればこその古本ですから、高價な古本といふのも、もちろんあるんですけれどね、單なる好奇心を滿たしたいがための、まあ道樂であり趣味ですから、ぼくの場合はお金をかけられないのであります。はい。 

その二軒だけ見て家路につきました。歸宅したら、一〇七八〇歩。たつたですね。もう少したくさん歩いたやうだつたんですけれど、ほどほどにしておきませう。

  

ところで、妻が、「酔いどれ小籐次留書」シリーズのつづきの二册をお花茶屋圖書館から借りてきてくれましたので、どうにか引き續いて讀みはじめることができました。ところが、妻が言ふには、これはわたしが出向いて直にたずねて聞いたから借りてこられたので、電話を待つてゐたら、明日になつてゐたのよ、と言ふのであります。何事かと思つたら、金町の圖書館から、今日屆いたのに、豫約者には明日になつてから連絡することになつてゐたといふのです。役人仕事とはこの事をいふのでせうか。屆いたその場で豫約者に連絡すれば、その日のうちに手渡せるのに、わざわざ次の日になつて連絡なんて、待ち焦がれてゐる者の氣持ちがまつたく分かつてゐないんですね。まあ、それがお仕事といふものなんでせう。

  

今日の寫眞・・今朝屆いた、南伊豆の三文字家からのプレゼント。これ以上に心がこもつた贈り物があるでせうか。もつたいなくて食べられません! ありがたう。

 あとは、今日の散策で撮つた寫眞。

 



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