四月十八日(月)庚午(舊三月十二日 晴のち曇り、小雨、暖かい

 

昨夜、中野三敏著『江戸文化再考』(笠間書院)を讀み終へてなほ興奮がさめやらず、それならばと、ためしに、ユーチューブで、「和本リテラシー」を檢索したら、中野三敏さんの講演がいくつも現れました。それで、そのうちの一本、「和本リテラシーの回復を願って」といふ、九州大學での講演を聽いたのですが、讀み終はつた本の復習そのものでしたからよくわかりました。一時間五〇分の講演でしたが、話し方も上手で最後まで飽きさせませんでした。 

後半では、古書會館で手に入れた三百圓ばかしの和本をふりあげながら、これらをゴミにしないよう、「和本リテラシー」を回復しようではありませんかと、聲も高らかに、いやあ、いい講演でした。 

それで、以下、中野先生のお言葉をもとに、ぼくなりに内容を整理してみました。これは、『江戸文化再考』の内容とも重なります。

 

《明治時代になつてから、江戸時代は「封建的」とか「前近代的」といつたレッテルを貼られ、その文化も社會も否定的にしか語られず、戰後になつてもそれがつづきました。 

近頃、やうやく江戸文化が見直されるやうになつてきたとはいへ、それはきわめて表面的な評價で、いまだに江戸時代を誤解してゐる人が多い。そのやうな誤解を解くには、「江戸に出かけて江戸を見る」必要がある。私たち現代人の眼で見て江戸を判斷してはいけない。つまり、江戸の人々が讀み書きした本を、私たちの目で直に讀んでみるしかない。 

ところが、問題なのは、現代人が江戸時代の本(和本)を讀まうにも、讀むことが出來ないのであります。リテラシー(讀み解く能力)が敎へてこられなかつたからであります。これは敎育上の大問題で、この状態が續けば日本人は過去と斷絶した異樣な人類の一員となるでありませう。 

その分岐點は、明治三十三年に改正された小學校令にありました。ひらがなを一音一字に限定したことであります。たしかに、これによつて日本人の識字率は向上しました。しかし、その一方で、現代では明治三十三年より前に書かれた文章が讀めなくなつてしまつたのであります。 

そもそも、明治三十三年より前にだされた草書體や變體假名で書かれた文章はどれくらゐあるか? 國書總目録で公稱五〇萬點。實際は一〇〇萬點以上あるのではないかと思はれる書物が讀めないとは、なんとも、もつたいないとしか言ひやうがありません。 

もちろん、もつたいないだけではありません。江戸をして語らしむることが閉ざされたままになつてしまふのであります。今こそ、いや、今ならどうにかまにあふでせう。だからこそ、「和本リテラシー(和本を讀み解く能力)」の回復を、聲を大にして叫びたい。》

 

まあ、ぼくは、『土左日記』や『徒然草』などの古典を讀むためにくづし字を學びはじめたのですが、むろん、といつても時代によつて字體はだいぶ變はつてはゐるんですが、それでも江戸時代の和本も讀めるわけで、これは力になります。今日の寫眞にあるやうな書物を直に讀めるなんて嬉しいですね。また、中野先生からはもつとお敎へ願ひたいと思ひます。

 

月曜日の今日、「有所勞不稽古」からどうにか回復して、弓道場へ行つてまゐりました。また大勢の方が集まりまして、といつても七人でしたが、みなさん顔見知り、樂しくお稽古をすることができました。

 

今日の寫眞・・お稽古の樣子。中野三敏先生の講演の樣子。それと、今年になつて求めた薄汚れた和本。

 

熊沢蕃山著の『集義和書』や、貝原益軒の『和俗童子訓』の端本をはじめとした多數。しかも、高くて千圓か五百圓、安ければ百圓や二百圓で購入の和本ばかりです。

 






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