四月廿六日(火)戊寅(舊三月廿日 晴

 

*國會議事堂への道(その五) 

いやいや、まだ天丼にたどりつけません。思ひ出にひたりすぎました。でも、目的地はすぐ先です。 

いいにほひと人混みをかきわけながら、今日こそはと願つた天健(てんたけ)が開いてゐたのには胸をなで下ろしながらガラス戸を開けて入り、おかみの指さすカウンターの席に着くことができたのであります。 

香ばしいにほひにつつまれて、ぼくは天丼を注文し、それはそれは期待以上の感激を胸にゆつくりと舌鼓を打つたのでした。天丼、味噌汁つきでしめて一八〇〇圓。ちと高い氣もしますが、滿足度がそれより高いので許されるでせう。 

我が家から天健まで、一一一〇〇歩でした。 

 

滿腹して外に出ると、といふのは、いつもはご飯を少なめに注文するのですが、今日はそれを忘れるくらゐ氣持ちが高ぶつてゐたんでせうね、それで、歩きだす前に、傳法院通りにある、といつても天健の斜向かひなんですが、地球堂古書店に入りました。場所柄、江戸・東京關係の書物が充實してゐる古本屋さんですが、これからさらに歩かなくてはならないのでひかへ、それでも、薄つぺらな、『秋成』と題した、上田秋成の展覽會の圖録を買ひ求めました。 

二十四頁のすべてに秋成自筆の自傳やら、自畫自讃の俳畫、歌文集、『雨月物語』、『春雨物語』の部分、その他多くの書翰やらの寫眞が滿載で、くづし字の勉強にはもつてこいなのです。 

で、ふと思つたのですが、ぼくがくづし字を學びはじめたのは、〈中仙道を歩く〉の大宮宿あたりからですから、ちやうど三年になりますが、くづし字とは言ひますが、ぼくの見てきたところ、十人十色、百人百樣のくづし字があるのではないか、なぜかなら、今までのところ、目にする書ごとにはじめの一歩状態ですからね、だから、なるべく多くの人が書いたくづし字を目にしておくことが大事なのだと思つてゐる次第であります。 

 

さて、大目的は果たしましたけれど、さらに豫定したところの小目的、池波正太郎記念文庫をめざして歩きはじめました。どうも直線的には行きにくいので、淺草演藝ホールの脇を通り抜け、合羽橋商店街に向かひました。 

國際通りをつききり、淺草今半を横目に、さらにどぜうの飯田屋を脇目に歩き進むと、何やらが道端に座つてゐます。日蔭になつてゐるのでよく見えないのですが、近づくと、それは河童の木像でした。しかも座禪を組んで合掌してゐるではありませんか。喜捨でもと思ひましたが、かへつて失禮になつてはと思ひ直して通り過ぎました。ちよいと驚きました。 

 

池波正太郎記念文庫は、台東區の生涯學習センターなのか、圖書館なのか、まあ同じ建物ですが、その一階にありました。かねてより知つてはゐましたが、入るのははじめてでした。無料ですから、誰でも自由に入ることができます。 

しかし、今日訪ねたいと思つたのは、「追悼 中一弥 挿絵原画展」が見たかつたからなのです。先日神保町から淺草まで歩いたときに、榊神社のあたりの路地の掲示版で、ポスターを見たのでした。それによると、中一弥さんは、「池波正太郎作品の挿絵を描き続け、平成二十七年十月二十七日に、一〇四歳の天寿を全うし逝去され」たさうなのです。 

それで、薄暗い、照明で自筆原稿などの作品が傷まないやうにしてあるからですが、池波正太郎記念文庫を見學いたしました。池波さんの書齋の再現したものや、作品群、さらに時代小説作品群などとともに、中一弥さんの作品もガラスに隔てられて飾られてありました。 

ほかのものがごてごてしてゐるからでせうか、中さんの作品が際立つてシンプルに、それでゐて存在感がありまして、一筆のもつ藝術性といつたらいいのか、表現性といつたらいいのか、ぼくはいいなあと思ひながらしばらく見とれてしまひました。(つづく) 

 

今日の讀書・・古典文庫は常に手に取つてみるやうにしてゐるのですが、昨夜は、『御伽比丘尼 繪入』 といふのに目がとまり、開くと、複製と翻刻の兩方が掲載されてゐるではありませんか。ちらちら讀むと、内容も面白さうだし、なによりも、ぎりぎり今のぼくの「和本リテラシー」で讀めるところがうれしいぢやありませんか。それで、序文と卷一の志賀之隠家を讀みはじめました。 

そこで氣づいたことですが、『大和物語』もさうですが、平安時代に書かれた文章や歌の文字のくづし字は、當然、江戸時代でも通用といふか、江戸時代の人々も讀めた文字であつたでありませう。その間、約一〇〇〇年、讀み繼いでくることができたのであります。 

それが、明治三十三年(一九〇〇年)を境にして、急激に讀めなくなり、今やほとんどの人が、くづし字の存在さへ知らないでゐられるといふのは、やはり尋常ではないでせう。 

中野三敏さんがよく例に出すのは、アメリカ合衆國でその獨立宣言の原文を讀めない子どもはゐないといふことです。それにひきかへ、格は下がりますが、福沢諭吉の『學問のすすめ』の原文を讀める子どもどころか、大人がどれだけゐるでせうか。といふ問題なんです。翻刻されてゐるからいいと思へればそれはそれで幸せなんでせうけれど、ぼくは、それが日本に生まれ、日本の歴史に育まれ、日本の傳統に生きてゐる者として、さらにこれからの日本の姿を慮つてみるに、決して正しい道であるとは思へないのですね。困つたものです。 

 

今日の寫眞・・健さんとその天丼。合羽橋商店街の河童。池波正太郎記念文庫のある台東區生涯學習センター・圖書館。それと館内寫眞撮影禁止なので、入口から振り返つた記念文庫と「追悼 中一弥 挿絵原画展」のポスター。

 




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