四月卅日(土)壬午(舊三月廿四日 晴

 

このたび、我が家が、親交會といふ町内會の十數組のうちの五組の組長になりました。面倒な役割ですが、何年かに一度回つて來ます。ぼくが歸つてきてから、この五月でまる六年になりますので、ちやうどひと回りしたところのやうです。でも、我が家の外交は妻の役割といふか得意分野ですのでおまかせしたいと思ひます。いへ、ぼくはぼくなりに缺かせない役割を擔當してをりますのです・・。はい。

 

ところで、寅が脱走してしまひました。まさかと思ひましたが、どうも、洗濯物を干すとき、ちらりと開けておいたところに、それだけでは逃げるといふか、窓に近づくはづがないので、その前に見かけた三兄妹の長男のコヤタが入つてきたやうなのであります。前にも入つてきたことがあつたからですが、きつと、それに驚いて寢床から飛び出て、そのまま窓のすき間から逃走したのではないかといふのがぼくと妻の推理です。 

ラムがゐるときから來てゐて、いつも一人でご飯を食べては寢たり、たいへんのんびりとした老猫だつたのですが、三兄妹に意地惡されてゐるのを見かねて、家で飼はうとしたのですけれど。お互ひにまる三週間耐えました。でも、結局慣れることもなくコヤタに(?)追ひ出されてしまひました。ま、ぼくらの不注意もありましたけれど。 

だいぶ年を取つてゐたので、それも飼ふ理由でしたが、根つからのノラだつたのでせう。もう歸つては來ないだらうなと思ふと可哀想でなりません。 

 

*國會議事堂への道(最終回) 

龍寶寺までは、一五〇〇〇歩でした。時間もだいぶたちましたし、この邊でひとり歩きは終了にして、電車に乘ることにしました。春日通りの下には、都營大江戸線とつくばエクスプレスが通つてゐるはづなので、新御徒町驛まで歩きました。 

國會議事堂での抗議行動は六時半からと、だいぶおそいので、それで、どこかで休まうと、いつも入るドトールコーヒーが神保町の救世軍本部となりにあるのを思ひ出し、春日町驛で都營三田線に乘り換へて向かひました。そこの地下が静かで居眠りするには適してゐるんです。 

そろそろお腹が空いてきましたが、今日は集會が終はつてからいただくことにして、少し早めに半藏門線で永田町驛へ、そして有樂町線の永田町驛の端から端まで歩き、參議院通用門前交差點に出るつもりで改札口にやつてきましたら、なにやら大きな聲がするので目をむけると、いかつい姿の警察官がぼくたち市民の行く先を一方的に制限してゐるのでありました。 

いやいや、いつもより嚴しい、といふか嚴重な規制です。ぼくは、參議院議員會館の方に出ることをあきらめ、國會圖書館の方へ進まざるを得ませんでした。人出はいつもの通り、大勢が集まり、ポスターあり、幟あり、みな獨自の抗議文を掲げてをられ、歩道を通り抜けるのに困難を覺えるほどでした。 

六時半から、抗議集會がはじまりました。シュプレヒコールでみなさんの心を集めたのち、今日の連帶の挨拶には、福島瑞穂おばさまと切れ者の山口二郎さん、それにはじめての方々の話もあり、さいごは、宗教者代表として、八王子在住の宮司さんの訴へがありました。さらに宮司さんが、國會議事堂周邊に響き渡るやうに「祝詞(のりと)」をあげられたのには、ぼくも感動してしまひました。  

そんな餘韻を心にいだきながら、みなさんの歩む流れに身を任せ、再び永田町驛に入り、ホームに入つてきた電車に飛び乘りました。新木場驛行きでした。では、と考へ、銀座一丁目驛で下車。狙ひ定めて地上にあがると、ちやうど天龍が營業を開始したビルの脇に出たのでありました。まだまだ勘が鈍つてはをりませんでした。 

いつ改装開店したのかは忘れてゐましたが、やつててよかつたです。空きつぱらをかかへて四階にあがり、ちよいと待ちましたが、何ヶ月かぶりに餃子ライスを食べることができました。しかも八つの大きな餃子を今日はすべて食べることができました。調子がいい證據です。感謝しつつ歸路につきました。(おしまひ) 

 

  今日の寫眞・・昨日朝撮影した寅のさいごの姿。それと、國會議事堂への道(最終回)。





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