五月六日(金)戊子(舊三月卅日 晴のち曇り

 

今日の讀書・・ラフォーレ修善寺の仕事が入りました。今回は仕事は明日の午後なので、三食朝寝つきです。それで、出かけるにあたつて思つたのは、まづどの本を持つて行かうかといふことでした。選んだのは三冊、「耳袋秘帖」シリーズと、讀みかけの石川九楊の『ひらがなの美学』と、讀みかけの谷崎潤一郎『少將滋幹の母』をカバンに入れて家を出ました。 

でも、踊り子號の中でも、ホテルのベッドでも、結局は、『少將滋幹の母』を讀みつづけてしまひました。しかし、ベッドで讀むにはフロントで借りた電氣スタンドが必需品です。ところが、スタンドのコードはホテルの部屋のコンセントにはとどかず、カバンの中にはいつも延長コードを入れておきます。それをつないでから、ベッドに橫になり、やつと讀書に浸ることができました。 

そもそも、なぜホテルの部屋の照明は讀書むきに備へられてゐないのでありませうか?

 

それでですが、『少將滋幹の母』は、我が家のベッドで讀んでゐる『大和物語』を補足するやうな内容で、要するに、平中の手引で時平が人妻を奪ふ話なんです。平中といふのは、平仲とも書きますが、『平中物語』の主人公で色好みの天才。その自慢話を聞いた藤原時平がその人妻を、その夫藤原國經から奪ふのですが、その策略といふかはかりごとの情景がまた面白いのですが省かせていただき、問題は、母を奪はれた滋幹君、いや、夫の國經さんです。 

國經は時平の父基經の兄弟ですから、といつても基經はその父良房の兄長良の養子として迎へられたので、義理の伯父甥の關係ですが、時平の伯父にあたります。きつと才能に乏しかつたのでせうね、だから基經が迎へられたのでせうが、その義理の八十歳を過ぎた伯父の、しかも慈しんできた年若い妻を奪つてしまふのですから悲劇が起こらないわけがありません。 

それで、滋幹君は當時まだ十歳あまり、以來残酷な年月はたち、「滋幹は四十四五歳に達してゐたであらう、滋幹がさう云ふ齢になつてもなほ、母のことが忘れられず、折にふれては面影を想ひ浮かべてなつかしがつてゐた」、その滋幹君、はたして母に出會ふことができたのでありませうか? 

内容とともにぼくを引きつけたのは、谷崎潤一郎の博識です。引用やら引き合ひに出される書物がすごいのです。古今和歌集にはじまり、後撰和歌集に拾遺和歌集、大和物語はもちろん、今昔物語、閑居の友、往生傳や發心集、摩訶止觀などなどです。ぼくは思ひましたね。谷崎潤一郎は我が國の古典の傳統を生きてゐる最後の教養人なんだらうと。 

それで、同じ文庫本に入つてゐる、『乳野物語』を引きつづき讀みはじめたところで寢入つてしまひました。 

 

今日の寫眞・・久しぶりの踊り子號と改装された修善寺驛前。それと、ホテルの部屋から見たゴルフ場の景色。晴てゐれば目の前に富士山が見えるはづなんですが、そのステレオ立體寫眞です。