五月八日(日)庚寅(舊四月二日 曇り

 

今日の讀書・・今朝、といつてもぼくにとつては深夜かも知れませんが、ふと目覺めたら六時で、なんとなくラヂオをつけました。すると、NHK第2放送で、古典講讀がはじまるところだつたのです。 

朗讀はおなじみの加賀美幸子アナウンサー。話の解説は伊東玉美さん。白百合女子大學の教授らしいのですけれど、男心を誘ふやうな話し方が實にいい。聞き惚れながら、たうとう終りまで聞いてしまひました。 

で、その内容ですけれども、「むかし語りへのいざない~宇治拾遺物語~」といふものです。さういへば、だいぶ前に、「鬼ニ瘤被レ取事」(鬼にこぶ取られる事)といふ話をうとうとしながら聞きかじつたことがあるのを思ひ出しました。 

今日は、その『宇治拾遺物語』の第五回で、四つの話を解説してくださつたのですが、ぼくはそのうちのひとつ、「尼地藏奉レ見事」(尼地藏尊に會ひ奉る事)の話がよかつた。そこで、聞き終はつたあとで、角川文庫版を出してきて讀み直してゐたら、からだがゾクゾクと震えてしまひました。卷第一の一六話です。 

それでまたついでですから、いつものやうに、この影印本を出してきて、第一六話を讀みました。 

「今は昔丹後國に老尼ありけり地藏菩薩ハ曉ことにあり(歩)き給ふといふことをほのかにききて・・・」と、まあかうはじまるのですが、最後の最後でゾクゾクつとくること請け合ひです。 補足・・菩薩は、原文ではくさかんむりに升の最初の一畫がないやうな字を書きます。今日の寫眞をご覽ください。

 

參考のために、「古典講讀」の時間の宣傳をしておきます。毎週土曜日の午後五時から四十五分間です。その再放送が、翌日曜日の朝六時からの放送で、ぼくはいつもそれを聞いてゐることになります。この「むかし語りへのいざない~宇治拾遺物語~」は七月まで、十三回にわたつての放送豫定です。聞けば必ず讀みたくなるとぼくは信じたいです。はい。 

ちなみに、書庫を探したら、伊東玉美著『宇治拾遺物語のたのしみ方』(新典社)がありました。古本市で一〇〇圓でした。ぼくの遠大なる讀書計畫の射程に入つてゐることは間違ひありません。でも、著者の寫眞がなかつたのがちよいと殘念でした。白百合のやうなお方なのかしら? 

 

今日の《平和の俳句》・・「われら詠む十七文字の反戦歌」(六十二歳男) 

 

今日の寫眞・・角川文庫版『宇治拾遺物語』と伊東玉美著『宇治拾遺物語のたのしみ方』(新典社)。それと、影印本の第一六話の冒頭。