五月九日(月)辛卯(舊四月三日 曇天のち雨

 

今日の讀書・・今日は急遽通院することとなり、待たされるのは分かつてゐましたから、『宇治拾遺物語』の影印本を持つて行きました。綾瀨驛では始發に乘つたので、座つて讀むことができましたし、待合室でもゆつくり讀めました。漢字には振り假名がふつてありますからだいたいよ讀めましたけれど、やはり問題は意味を讀み取ることです。待つてゐるうちに、三話讀むことができましたが、意味がわからないところが多々あつてつまづきながらの讀書でした。 

たとへば、一話の、「道命於和泉式部許讀經五條道祖神聽聞事」(道命、和泉式部がもとで經を讀み、五條道祖神が聽聞する事)の中で、「色にふけりける僧」であつた道命が、「和泉式部に通けり。經を目出くよミけり。それか和泉式部かり行て臥たりけるに」の、「かり行て」なんて、讀めても意味がわからない。さういふところがたくさんあるのです。 

これは、あとで、「經を立派に讀んだ道命が、それで和泉式部のもとに行つて臥した」、つまり寢たといふことらしいのです。きつと、和泉式部さんの氣を引いて寢たいがために一生懸命に讀經したんですね。まあ、このやうに、字面を讀めることと、意味を讀み取ることとはちがふといふことを、長々と待たされながら思ひ知らされたのでありました。

 

歸りはもちろん神保町へ直行、久しぶりに岩波ブックセンターの二階にある秦川堂書店を訪ねたら、そこは古地圖や旅行パンフレットや鐵道關連書籍專門でした。ぼくは、すぐに東京の古い區分地圖を探しました。 

それと、ちよいと口をすべらせて、祖父が明治時代から大正、昭和とチンチン電車の運轉手をしてゐた事、それと、「東京鐵道株式會社」に命じられた「六等運轉手ヲ命ス」なんていふ文書が殘つてゐることを話したら、さういふものはほとんど出回はらないから貴重ですよ、と言はれました。これはお寶だと思ひましたね。それで、歸宅してから探したところ見當たらないのです。さあ困りました(『歴史紀行 十八 我が家の古文書發見!』參照)。 

 

今日の《平和の俳句》・・「若布(わかめ)干す平和の濃さはみな違う(六十八歳女)」 

 

今日の寫眞・・朝食を食べる我が家のノラたち。綾瀨驛の時刻表。ぼくは、七時二五分綾瀨驛始發に乘つたのですが、上りはどの電車も超滿員です!  

それに、今日の収穫。昭和七年に東京市が府下五郡を編入して、十五區から三十五區に編成されなほした頃の區分地圖です。その使ひ方も面白い。