二〇一六年五月(皐月)十一日(水)癸巳(舊四月五日 曇天

 

今日の讀書・・今日は橫になつて、『大和物語』を讀み進みました。あと少しで大きな區切りである一四七段に到達し、宮廷の男女のだいぶ柔らかな話から解放され、説話文學への橋渡しといはれる物語部分へと入る予定です。 

くづし字を讀みながらといふか、文字をたどりながらそのまま理解できるといふことは、實は大變なことだと氣づきました。『麻布暗闇坂殺人事件』なんかでしたら、目の動きに從つて理解がそのままついていきますから、早いものです。ところが、くづし字の場合は、目で見て文字がわかつたとしても、頭の中でそこで語られてゐることの内容が理解されるまでには時間がかかるのです。それがやつと、まあ、この書の文字遣ひについてですが、讀んで理解するその時間差がほんのわづかになつてきました。 

むろん新しい書にのぞむと、まるで幼兒のやうに、聲をだしながら、一字づつ讀みながら、頭の中で理解が、さうステレオ立體寫眞の像がはつきりと重なるまで時間がかかるやうに、一歩一歩進まなくてはなりません。これは、どの國の言語を學ぶにあたつても共通のことなんでせうが、自分の國の、つい最近まで全國民が書いたり讀んだりしてゐた文字だと思ふとまどろつこしくて仕方ありません。 

 

風間真知雄著「耳袋秘帖」シリーズ第八册、『麻布暗闇坂殺人事件』を今日も讀みつづけました。うとうとしながらですからなかなか進みません。

 

それと、晝間、NHKBSで放送された、『荒鷲の要塞』を見てしまひました。もう何度か見た映畫ですが、いいものは何度見てもいいです。その貴重な一作ですね。いやあ、リチャード・バートンがいい。 

 

今日の《平和の俳句》・・「フクシマのチェルノブイリの如き春」(七十八歳男) 

 

今日の寫眞・・今日の新聞切り抜き。ぼくが濱岡に住んでゐた頃の出來事です。ぼく自身もこのうわさは耳にしてゐました。もうとやかく言はれないだらうといふ頃になつて、やつとこのやうな事實が公にされましたね!  

當時、濱岡町は、原發賛成派と反對が對立してゐて、ぼくのゐたところに、もちろん反對派の靑年たちが何人も集まり、よく話し合ひや讀書會をしました。父親が敎育委員長をしてゐた女性なんか板挾みでしたけれど、がんばつてました。「人間を返せ」の映畫上映會を計畫し、その會場となる御殿のやうな町役場に使用許可をもらひに行つた時、その女性も一緒に父親の教育委員長に交渉に行つたときの情景が思ひ出されます。 

ああ、あの靑年達はどうしただらう。ブッシュこと繁田君、まだ東海淸風園で働いてゐるのだらうか。さういへば、「人間を返せ」に大勢の町民が見に來てくれて、それで『感想文集』を何册も作成したことを思ひ出しました。あれ、どこに仕舞つただらうか。 

寫眞は、遠州灘に面する海岸と砂丘から見た濱岡原發。濱岡原發を見にいつた時の、施設の豪華なガラス張りの待合室にてと、これは小笠町公民館でおこなつた上映會の立て看板。それに、ブッシュ君を眞ん中にした寫眞と教會の笠原さんと藤田さんと猪平さんたちと。一九八一年から一九八六年まで、ぼくは濱岡で人生と社會を學びつつ、今日にいたつてゐます。