五月十四日(土)丙申(舊四月八日・上弦 晴

 

今日の讀書・・今日はイーヂーリーディング。浅草三社祭が行はれてゐるので妻と出かけ、その行き歸りの電車で讀み、また歸宅しては寢轉んで讀みつづけました。 

妻もまた讀みかけの文庫本を持つて、二人で出かけてもかうしてお互ひに本を讀んでゐることが多いのですが、さう、實は昨日で結婚してまる四十三年になり、特別なことはいつものやうにしませんでしたが、今まで見たこともない三社祭に出かけやうといふことになつたのであります。ちやうど母が童謠の會に出かけたといふこともありました。

 

家を出たのは晝過ぎでしたが、まあ、京成から直通の都營淺草線で行つた場合、地下から地上へ出るのは混雑するだらうなどと考へて、関屋驛・牛田驛乘り換へで、東武鐵道で淺草驛まで行くことにしました。左手に勝海舟の銅像を垣間見ながら隅田川を渡つてゐると、妻が言ふには、子どものころ、隅田川を渡つた電車がビルの中へ入り、降りるとそこがデパートなのがどうしても理解できなかつたやうなんです。分からなくもありませんでした。 

それで正面階段を下りて町の中へでました。案の定すごい人で、雷門まで歩くのもやつとでした。表通りを避け、裏通りをたどりながら、それでも所々で御神輿の大行列が通るのをながめ、思ひ出して、オレンジ通りのアンジェラスでお茶を飮むことにしました。いつも前を通りすがるだけでいまだ入つたことがなかつたからです。ちよいと行列を竝びましたが、すぐに奥の薄暗い席に通されました。 

創業が昭和二十一年、「川端康成や池波正太郎、永井荷風に手塚治虫といった、名だたる文豪や文化人が、この老舗喫茶店に通い詰めた」といはれるアンジェラスです。とくに、永井荷風が通ひ詰めてゐたといふのを知つてゐたので入りたかつたのです(補足・・荷風といふばアリゾナですが、すでに閉館してゐるさうです)。結婚記念日の次の日ですけれど、いい記念になりました。

 

また、すぐ路地を挾んだとなりにある、〈ベッ甲イソガイ〉といふ店に入つたら、そこは、一昨夜テレビの「和風総本家」で放映してゐた鼈甲(ベッコウ)専門店でした。目にとまつたのは、「茨布甲&チタン 丸メガネ」。フレームのこめかみから耳にかけての肌に當たる部分をテンプルといふのださうですが、そこが鼈甲の「まだら模様の茨布甲(ばらふ)といふ甲羅」部分で造られてゐる眼鏡です。かういふ眼鏡もあるのだと感心しつつ、まあ目の保養になりました。 

お祭り氣分を滿喫し、同じ經路で歸路につきました。かうして一緒に歸宅するのも珍しいのですが、體調がいまいちなのと、ノラちやんたちが大勢して待つてゐるので急いで歸りました。 

歸宅後、寢轉んで「耳袋秘帖」シリーズを讀みつづけましたが、どうにも眠くて數頁、さらに夕食後も眠くて、たうとう寢てしまひました。 

 

今日の《平和の俳句》・・「鏡に写る顔が戦争を知っている」(八十三歳女) 

 

今日の寫眞(前頁)・・三社祭の樣子。