五月廿五日(水)丁未(舊四月十九日 曇り

 

今日の史策・・今日は、〈東山會〉發足後、第二回めのウオーキングに參加してまゐりました。〈東山會〉とは、中仙道を一緒に歩いた有志(どんな志かは聞いてゐませんが)の方々で結成した、思想・信條自由な集まりでありまして、第一回の横濱港散策につづいて、今回は、調布から深大寺方面を散策いたしました。總勢十名ほど。そのうちの九人の參加で、のんびりと、かつての武藏野の田園地帶を巡り歩きました。 

今回のリーダーは、大塚さんです。すでに資料をいただいてゐましたが、まるで學術調査ならぬ、史的散策でした。京王線調布驛に午前十時に集合出發。

 

はじめは、布多天神社を訪ねました。舊甲州街道を渡つたところからの天神通には、しかし、ゲゲゲの鬼太郎やら、ねこ娘やらが現れ、まるで妖怪通りでした。さらに、國道20號線を越えたところにある常行院といふお寺には、ここが東京、いや武藏野と言ひ換へてもいいんですが、とても珍しい作りの門があつたり、釋尊の涅槃像があつたり、たしかに、平安時代以前、奈良や天平の時代を感じさせる雰圍氣がありました。 

いやいや、天神様、境内に入つたら、骨董市が開かれていて、何となく見て回つてしまつて、たうとう「神牛」を見るのも忘れてしまひました。が、言ひ譯ではありませんが、この骨董市、江戸の頃より毎月二十五日に行はれてきた天神市といふ市なんですね。例の、大田蜀山人さんの『調布日記』によれば、文化六年(一八〇九年)二月二十五日、「布多天神に詣でてみると、社はたくさんの男女でにぎはつてをり、小間物、笊籠、古い衣服を賣る店等が立ち竝び市がたつてゐた」とあります。(つづく) 

 

今日の《平和の俳句》・・「被爆国なのに原発七十年」(七十五歳男) 

〈金子兜太〉広島、長崎を原子爆弾で惨憺たる状態にされた「被爆国」であるのに、いまでも原子力発電にこだわる日本。恥を知れ。 

 

今日の寫眞・・今日の〈東山會〉ウオーキング。