六月(水無月)一日(水)甲寅(舊四月廿六日 曇り

 

今日の讀書・・五月十二日は、わがパソコン生活においては畫期的な日でありました。〈宮内廳書陵部 畫像一覽〉を發見したからです。以來、あれこれ、データベースが覗けないか探してゐたのですが、先日は、〈日本文學インターネット・ガイド データベース〉と言ふのを見つけました。そのときは、利用できるデータベースがうまく見つかりませんでしたが、今日再度試みたら、その中の、〈日本古代史料本文データ〉と〈公卿補任データベース〉が使へることがわかりました。前者は、『延喜式』の本文が、後者は、『公卿補任』の本文が見られるのであります。 

もちろん、兩方とも「新訂増補國史大系」で持つてはゐますが、スペースの關係で、出してくるのに面倒なのでありまして、特にパソコンで文章を書いてゐる時にはすぐに引き出せるので便利この上ありません。例へば、藤原忠平の日記 『貞信公記』 の延長四年(九二六年)における宮廷の人事については以下の樣に記されてゐますから、一目瞭然です。おまけに年齢まで記されてゐます。 

 

《延長四年条》 

左大臣 正二位 藤(藤原)忠平 四十七 左大将。皇太子傅。 

右大臣 正三位 同定方 五十二 右大将。正月七日従二位。 

大納言 正三位 同清貫 五十九 民部卿。 

中納言 従三位 同仲平 五十二 左衛門督。按察使。正月七日正三位。 

中納言 従三位 同保忠 

権中納言 従三位 同恒佐 四十七 右衛門督。 

参議 正四位下 源清蔭 四十三 大蔵卿。正月廿九日兼備前権守。 

参議 正四位下 藤玄上 刑部卿。讃岐守。 

参議 従四位上 源 悦 左大弁。讃岐権守。正月七日正四下。任伊與守。 

参議 従四位上 藤邦基 右大弁。春宮大夫。備前権守。勘長官。 

参議 従四位上 同扶幹 六十三 中宮大夫。大宰大弐。 

参議 従四位上 同兼輔 五十     左権中将。近江守。 

参議 従四位下 同当幹 六十三 治部卿。 

 

源清蔭と源悦以外はすべて藤原氏が占めてゐます。もう、この時から藤原氏獨占状態だつたことが分かります。また、『貞信公記』 に出てくる人物を特定といふか同定するのにも役立ちます。 

 

今日の日記・・妻と相談して、家の塀に、ポスターを掲げることにしました。近所の公明党の方が、このところ「お願ひします、お願ひします」と何遍も訪ねてくるので、そのたびに、どうにかニコニコして歸してゐたんですが、この五月二十五日で、實家に歸つてきてまる六年、七年目に入りました。そこで、旗印を掲げて、態度を鮮明にすることにしたのです。 

母が存命のうちは、静かに潛んでゐようと思つてゐたのですが、もう、状況が許しません。町内で政治的な態度を表明することは、住みにくくはなるでせう。ましてや、今年は組長なのです。でも、我が妻は、かういふのには打たれ強いのですよね。なんだか、顔色もいいやうです。 

ただ、公明党の方が多い町會ですから、どんなポスターにするか惱みました。それで、直接に批判や誹謗中傷するやうなのはやめておきました。 

 

今日の《平和の俳句》・・「元気かのひとこと母はいつも母」(六十四歳女) 

〈中江有里〉そう聞くのは、いつもと声の調子が違うから。離れていても、いつも心を配ってくれている人がいるって本当にありがたいことです。 

 

今日の寫眞・・我が家の塀は、町内で一番目立つところなのかも知れません。蔦に絡ませて、どうにか貼ることができましたが、妻と、いつ剥がされるかねえ、などと話してゐます。この二枚はステレオ立體寫眞です。それと、掲げるのにもれたポスター。