六月(水無月)廿二日(水)乙亥(舊五月十八日 曇天、朝小雨

 

今日の讀書・・今日は通院日。慈惠大學病院へ行つてまゐりました。綾瀨驛發九時五分の始發電車に乘り、大手町驛乘り換へで三田線御成門驛下車ですが、兩方の電車に座ることができてラッキーでした。へとへとになつて病院に到着では、何のための通院かわからなくなるときが多々あるからであります。

 

今日持參した本は、夢枕獏さんの『陰陽師』(文春文庫)でした。一九九四年八月に一度讀んでゐるのですが、全卷讀むにあたつて、改めて最初から挑戰しようと思つたからでした。でも、まつたく覺えてなくて、新鮮でした。ちよいと型にはまつた流れではありますが。 

それが、數日前に讀みはじめたので、待つてゐるあひだに終へてしまひ、つづけて、「日本会議」本第二彈、上杉聰著『日本会議とは何か 「憲法改正」に突き進むカルト集団』(合同出版・合同ブックレット)を讀みはじめました。まあ、薄くて持ち運びがよかつたからですが、中身は輕いどころか、なかなか重たくありました。 

菅野完著『日本会議の研究』(扶桑社新書)のはうは、全體的に、「日本会議」の誕生から今日までのその運動の流れが克明に描かれてゐましたが、これは、その主要な論點を問題にして解説してくれてゐます。特に、「第3章 押しつけ憲法論と憲法第9条の眞實」は、ぼく自身たいへん敎へられました。

 

現憲法は、「押しつけ憲法」どころか、「日本のそれまでの歴史上、もっとも民主的に選ばれた選挙制度のなかで憲法改正案は審議され、衆議院は4218で可決した。(中略)・・間違っても、“押しつけられた明治憲法の方が良い”などと言ってはいけない」。何故なら、「明治憲法は、枢密院の議長・伊藤博文と十数人が義論して決め、天皇の名前で公布したものだった。これは、確かに国民への『押しつけ憲法』だろう。選挙権は納税額によつて制限され、女性はまったく投票権を認められていなかつた」のです。

 

それと勉強になつたのは、天皇に關する處遇です。これこそ讀んでもらふしかありませんが、天皇が「助けられる」までの經緯は、まるで探偵小説か推理小説のやうにはらはらするやりとりがあつたのです。「誰が昭和天皇の命を助けたのか?」の節を讀めば、マッカーサーの苦衷のほどが知れるといふものです。

 

また、「日本会議」は、「戦後、主要国で憲法改正をしていない国はありません!」などと言つて、「憲法改正」の必要性を訴へてゐますが、それに對して、「むしろ、他の『主要国』のように、戦後も大きな政治的転換がなかったため戦前の古い体質をひきずった憲法を、戦後に部分修正を繰り返し、ついにつぎはぎだらけにしてしまったのとは、わけが違うのだ」とおつしやつてゐます。それだけ『日本国憲法』の完成度が高いといふことですね!

 

「日本会議にはいくつも弱点と欠点がある。その第1が、世間知らず、あるいは社会の現実を知ろうとしない傾向であり、もう1つが自分で考えようとしない他律的な傾向があること。とくにこの2つの特徴をあわせ持つ宗教独自の傾きを私は『カルト』と定義したい」。 

まあ、このやうな傾向の人々ですから、それだけに恐ろしいとも言へます。 

 

歸宅したら電氣屋さんがきてゐて、新しい書齋のエアコンを設置してくれてゐました。それで、町屋驛で買つて來た今川焼きを、午後の休憩時間に食べていただきました。 

 

今日の《平和の俳句》・・「一日の稼ぎわずかや新茶飲む」(四十九歳男) 

〈いとうせいこう〉 厳しい生活の中であっても、ひととき新茶をいれる。その安らぎ。 

〈中江有里〉 よく働いた自分へのご褒美に新茶。これこそ最高の贅沢(ぜいたく)です。

 

今日の寫眞・・今日の新聞切り抜き。全面廣告です!  

病院の血液檢査室、といふか採取室です。空いてゐました。 

それと、服部さんに薦められた對談を讀もうと、月刊雑誌の「世界」(七月號)を買ひに立ち寄つた町屋のTSUTAYA。雜誌賣場に見あたらないので店員に調べてもらつたら、「この本は注文できない」本だといふのです。いや、店員が言つたのではなく、コンピューターで調べたらそのやうに表示されたのです。一瞬、この店では「禁書」になつてゐるのかと思ひました。 

やつとトイレの場所で排泄できるやうになつたモモタ君。 

最後は、上杉聰著『日本会議とは何か 「憲法改正」に突き進むカルト集団』(合同出版・合同ブックレット)です。