七月二日(土)乙酉(舊五月廿八日 うすぐもり

 

今日も朝一で動物病院へ行つてきました。入院してゐたオト(於菟)ちやんを連れて歸るためでした。六月十五日(水)から北小岩のモネ動物病院に入院させてゐたのですが、醫者が言ふのには、病状は回復したけれど、生きて行く力といふか氣力に缺けてゐるやうで、食べてもそれが身を養つてゐないやうなのです。しばらくは、寅ちやんの二の舞にならないやうに、靜かに靜養させてあげたいと思つてゐます。 

一方、別室をあたへてゐるモモタとサトちやんには振り回されどうしでた。さう、「サト」改め、「ココ」ちやんに再度改名することにいたしました。ぼくが、サトでは、里実ちやんとか、知人にもゐますし、第一に子猫らしくないと、ちよいと感想を述べたのでありますが、自動車で通りかかつたところが、パパスとココスナカムラの前、「では」と、妻の一聲、「ココ」にしようといふことになつたのであります。まあ、安易な決め方ですが、ココちやんなら、ちよこまかいたづらなのでより似つかはしいかと思ひます。 

オトちやんは、歸宅後、解放したケージから出て、妻のベッドの下の暗がりに潜り込んだまま、たうとう夜まで出てきませんでした。でも、決して追つたりけしかけたりすることなく、自分で食べ物や水の場所へ行くのを氣長に待ちたいと思ひます。 

 

今日の讀書・・『陰陽師 付喪神ノ卷』を讀んでゐたら、珍しく、歴史的かつ文學的なことがでてきたので、作者の努力に報いるためにも、そこで引用してゐる、天徳四年(九六〇年)の春に行はれた「内裏歌合」の原文を出してきて開いてみました。

「元版群書類從特別重要典籍集」といふ、帙に収められた和本の中の一册です。すると、なんと序文は漢文なんです。和歌の歌合ですから、むろん本文は假名のくづし字ですが、漢文は久しぶりなので、讀んでみることにしました。『群書類從 第十二輯 和歌部』にその活字版といふか翻刻版が載つてゐるので、それを參照にしつつ、どうにか途中まで進みました。 

内容は、まるで儀式のやうです。「内裏歌合」がどうして行はれることになつたのか、またそれは、内裏のどこで、どのやうにして行はれたか、誰が選ばれて歌を詠んだかなどが細かに記されてゐるのです。夢枕獏さんのご本にも、若干解説があるのでたいへん參考になります。イメージがわいてくる書き方なので、それも助かります。ですが、數百年も前の識者が讀んでゐたであらうその原文が讀めると言ふことはなんと幸せなことでありませう。 

 

今日の《平和の俳句》・・「夫(つま)と孫ふざけ合ってる初夏の午後」(七十九歳女) 

〈いとうせいこう〉 夫は八十に近いそうだ。孫は七歳。ともにふざけているとき、どちらが子供でどちらが老人か。区別もなく遊ぶ時間、人は平穏である。 

 

今日の寫眞・・「元版群書類從特別重要典籍集」の中の一册、「内裏歌合」の冒頭と、安倍晴明の相方、「源博雅」の詠ふ順番が記された頁。かう見ると、源博雅はもちろん、安倍晴明もより實在感が增してきますね。 

今日のモモタとココ。ココの顔の造作がどうもよく分からないので近づいてみました。が、それでもよくわかりません。最後は、新聞切り抜きです。