〇一六年七月(文月)十一日(月)甲午(舊六月八日 晴、暑い

 

先日の通院以來、なんだかもやもやしてゐたところ、妻から、親友のご主人が數年前にペースメーカーを入れたといふことを聞き、ええつと思ひながらも、そうだつたのかあと、ちよいと氣持ちが樂になりました。そのご主人の場合は、通院したその場で即入院手術となつたやうです。それでも、事後は調子よくいつてゐるやうです。

 

もともと、心臟の機能が、ひとの半分ほどであるとは聞いてゐたので、それは仕方がないとあきらめてゐました。が、以前は注意だけで濟んでゐたのに、今回は早くペースメーカーを入れるやうに言明されてしまひました。ペースメーカーとなると、金属を胸に埋め込むわけですから、びびつてしまひます。 

もちろん、それは、いつ停止してしまふか分からない心臟のその齒止めとしてのペースメーカーであつて、その後に不整脈治療のアブレーション手術を行はなければなりません。でも、つづけてすぐにといふわけにはいかないでせう。 

それで、せつかくいただいたラフォーレの八月の仕事もお斷りせざるを得ませんでした。 

 

今日の讀書・・昨夜、寢苦しいままに讀書をつづけ、中村眞一郎著『王朝物語』(新潮文庫)を讀み終へました。この本で、ぼくは、『源氏物語』が、日本古典文學及び日本と世界の「小説」において、どんなに重要な書物であるかを、あらためて敎へられました。 

『源氏物語』への道を備へた、『宇津保物語』と『落窪物語』。そして、『源氏物語』の「四大亞流物語」としての、『狭衣物語』と『濱松中納言物語』と『夜半の寢覺』と『とりかへばや物語』。さらに、「亞流の亞流物語」に連なる、『風につれなき物語』、『いはで忍ぶ物語』、『苔の衣』、『あさぢが露』、『しづくに濁る』、『むぐらの宿』などなどといふやうな書物の位置づけといふか分類の仕方にもその重要さがよく現れてをります。 

著者によれば、これらの物語が、世界文學と比較できる、といふより世界の小説界に先驅けた内容であることも知り、ぼく自身の今までの文學に關する知識がくつがへされる思ひがいたしました。

 

今日は、さらに、夢枕獏さんの『陰陽師 鳳凰の卷』(文春文庫)を讀み終へ、つづいて、中村眞一郎さんのもう一册、より若いときに書かれた、『王朝文学論』(新潮文庫)を讀みはじめました。 

そろそろ、『貞信公記』を再開したいと思ひながら、どうも果たせません。 

 

今日の《平和の俳句》・・「もりもりと皆生きるなり夏の雲」(四十五歳) 

〈金子兜太〉 生きるとは力強いことだ。それも平和でなければ底力は得られない。 

〈いとうせいこう〉 この力強い歌の底にある人間の力、自然の力よ。争いを吹き飛ばせ。 

 

今日の寫眞・・朝一で見た、昨日の選擧の結果。夕食のデザート。お初のいちじくとぶどう。それと、今日屆いた、『濱松中納言物語』の影印本。