七月廿四日(日)丁未(舊六月廿一日 曇り時々晴

 

今日の讀書・・くづし字本が一段落したので、また、夢枕獏さんの『陰陽師』シリーズを讀みはじめました。その五册目の「生成り姫」の卷に入つたのですが、今回は、今までとはちよいと味付けが變はつてをりまして、樣々な資料が紹介といふか、引用といふか、その敷衍(ふえん)がなされてゐて、ぼくには大變お勉強になりました。といつても、まだ半分ほどのところを進行中なんですが。 

最も繰り返し引用されてゐるのが、『今昔物語集』ですね。つづいて、『宇治拾遺物語』、さらに、『古事談』。そして、『日本書紀』、『続教訓抄』、『教訓抄』、『古今著聞集』、『談抄』、『十訓抄』。出てくる順に記しましたが、これでは、説話のオンパレードですね。 

ただ、これらは、同じ話がそれぞれに掲載されてゐるので、また、比較して讀んでみたら面白いのでせうが、そこまでのめり込む時間も氣力もありませんので、だいたいのところ、『今昔物語集』の當該個所を讀むだけでおさめてゐます。 

貘さんも、がんばつてお勉強されてゐるやうです。 

 

それと、今朝六時から、NHKラヂオ第2放送《古典講讀》、「むかし語りへのいざない~宇治拾遺物語~」を聞くことができました。 

朗讀は加賀美幸子アナウンサー、解説は伊東玉美さんで、今朝は、通し番號で言へば、第五八話から、第六三話までの六つの話を聞きました。 

ぼくは、聞きながら、思ひ出しました。發心譚の一つとして、靑學在學中の敎育實習のとき、人はどういふときに世をはかなみ、出家遁世するかといふことを、宗敎的に目覺める例として中學生たちに話したのでした。その題材が、第五九話の「三河入道、遁世の間の事」でした。 

「三河入道、いまだ俗にてありけるをり、もとの妻をば去りつつ、若くかたちよき女に思ひつきて、それを妻にて、三河へ率て下りけるほどに、その女、久しくわづらひて、よかりけるかたちも衰へて、失せにけるを、悲しさのあまりに、とかくもせで、夜も昼も語らひ臥して、口を吸ひたりけるに、あさましき香の、口より出できたりけるにぞ、疎む心出で来て、泣く泣く葬りてける。 

それより、世は憂きものにこそありけれと思ひなりける」。 

まあ、中學生には理解におよばなかつたのではないかと、今になつて思ひます。 

 

九月の半ばに、中仙道と北國街道の旅仲間の《東山會》、その第三回歴史散策を迎へるのですが、その準備のための、いはば豫備的散策が計畫され、それが八月下旬に決まりました。 

歴史散策は、一三〇〇年を迎へる高麗郡の高麗神社等を訪ね、ヒガンバナの群落も見ようと計畫されたのですが、埼玉縣立博物館で、「高麗郡1300年特別展」がちやうど開催中だといふので、豫習のために見學に行こうといふことになつたのであります。ついでなので、隣接する盆栽美術館や漫畫會館、それに氷川神社へも回らうといふことになりました。もちろん、乾杯つきです。が、問題は、それまでに回復できるかどうかです。希望を失はないで、臨まうと思ひます。 

 

今日の《平和の俳句》・・「シベリヤよ父の遺骨は骨太で」(七十四歳女) 

〈金子兜太〉 米軍捕虜一年余のあと南から帰国し、シベリア抑留の、南に比べてのあまりの過酷さを知り呆(あき)れた。骨太の遺骨の耐えた日々を思う。 

 

今日の寫眞・・『陰陽師 生成り姫』の卷と『今昔物語集』。「高麗郡1300年特別展」と盆栽美術館のポスター。それに、艶めかしい寢姿のメス猫のココ。