七月廿九日(金)壬子(舊六月廿六日 晴

 

慈恵大學病院に入院、第一日目(以下、退院する八月八日まで、携帶電話メールで書いて自宅パソコンに送つたままに、字體は正字に變換せず)。

 

朝、モモタとココにしばらくのお別れを告げて、妻とともに慈恵医大病院におもむき、入院しました。21階ある病棟の7階。東京タワーが真正面に見える窓際のベッドでした。

まづ、これは明るくて本がよく読めると思ひました。が、すぐにレントゲン検査と心電図検査を受けに行かされ、もどるやいなや薬剤師が来て、のんでゐる薬の確認をおこなひ、さらに、血液検査技師が検査のためと称して大量の血液を奪つていきました。 

(補足・このころ、點滴用の永久注射針が左腕に刺され、さらに、胸に心電圖モニターが取り付けられてからは、からだの自由がほとんどきかなくなりました。) 

昼食は(今日の寫眞でご覧の通りの)素食。どうも、塩分を減らした調理のやうです。 

また二時頃、主治医の女医先生から、妻とともに手術の説明を受けました。胸に埋め込む実物のペースメーカー(補足・CRT・D「兩室ペーシング機能付き植え込み型除細動器」)を見せられ、その重さと大きさに、ぼくはちよいと不安になりました。が、もちろん顔には出しませんでしたよ。(補足・しかし、三本の電極リードを心臟の奥に、とくにその内一本は心臟から再び外に出すやうに挿入するのに時間がかかる場合があると説明されるところでは、もうおまかせするしかないと覺悟しました。) 

最後は、担当の看護婦さんから、明日のスケジュールを聞かされました。手術は午前11時ころからで、終了後は、売店で買はされた「胸帯」で、包帯でぐるぐる巻きのやうです。 

 

女医先生の説明を聞くやいなや、妻は帰つて行きました。 

が、それからも、血液検査の結果、ワーファリンが効き過ぎてゐるからと、その拮抗薬を点滴されるやらで、せつかく持つてきた本もなかなか読み進みませんでした。ましてや、モニターを見た看護婦さんから、脈拍が先ほど39でしたよなんて言はれて、ペースメーカーは入れ時だつたのかなと思ひながら、それでも、『ひらがなの誕生』を読み進みました。 

これは新鮮な、またそれだけ難しい内容ではありますが、新たなことを教授された気持ちです。 

6時に夕食。まだ外は明るく、景色を眺めながらけつこう美味しくいただきました。 

7時、シャワーを浴びて汗を流し、いよいよ明日へのカウントダウンがなされました。 

明日は、しかし、朝食も昼食も抜きです。水分補給も9時までと言はれました。手にした本が何度もベッドに落ちましたが、寝るには早過ぎます。なるべくがまんして、夜中に起きないやうにしなければなりません。 

ふと、窓の外に目をやると、東京タワーがオレンジ色に明るく輝いてゐました。 

 

今日の寫眞・・モモタとココにお別れ。東京タワーに面した病室。病院食。術前術後のスケジュール。そして夜の東京タワー。