七月卅日(土)癸丑(舊六月廿七日

 

入院生活第二日目。 

いつものやうに目覚め、トイレと洗面をすまし、ただし朝食は抜きでした。まあ覚悟といふほどではありませんでしたが、身辺整理をしてゐると妻がやつてきました。もう10時、手術まであと1時間。 

手術着とパンツに着替へてあとは待つだけです。

 

(以下、正しくは第三日の日記) 

いやはや夕べはほとんど一睡もできませんでした。 

手術は予定通り11時にはじまつたのですが、目が覚めたのが夜中の1時半。手術そのものは3時半に終了したやうです。 

ペースメーカー(CRT・D)を植え込むことはもちろん、三本の電極を心臓内に挿入するのが難しいやうなのであります。 

みな若い医師や看護婦さんばかりで不安がないわけではありませんでしたが、手術台に横たはつたときにはもうすべておまかせしました。ただアブレーション手術とは緊張の度合ひがちよいと違ひましたね。 

 

それからもんもんと寝苦しい夜を明け方まで悶え苦しみました。なにせ、左肩から右脇までぎりぎりに縛りつけ、ペースメーカーを入れたところの傷口を押さえつけてゐるのですから、それだけでも寝苦しいどころか息もつけず、ス~スウハ~ハアどうにか過ごすことができました。 

それだけではなく、からだのふしぶしが痛くて、本を読むどころかラジオも聴く余裕もありませんでした。 

それでも、うとうとはしたのでせう、ふつと気がつくときれいな看護婦さんが、朝食ですよと声をかけてくださり、昨夜の苦しみは何だつたのかと思ふほどでした。やはり若い美人が病気には一番の特効薬だと思ひました。 

美人といへば、術後ぼうつとしてゐるときに、妻が土用の丑のうなぎを食べさせてくれたらしいのですか、ほとんど記憶がなくてすみません。 

 

今日の寫眞・・術後の我が姿と東京タワーを背景にした點滴。