八月三日(水)丁巳(舊七月朔日・朔 

 

入院生活第六日目。 

夕べは寝苦しい夜でした。左手の親指は触ればまだ痛いし、もしかしたら原因の一端は弓道の弓手のせいではないかなどと思ひながら、昨日の「バルジ大作戦」での大佐と付き人のやりとりをあらためて考へてみました。 

そこで思つたことは、ドイツ軍の戦車部隊の大佐は戦争が好きでたまらない人間であり、戦争が永遠につづくことを願つてゐるそやうな人間でした。それに対して、付き人の男は子どものことを心配する平凡な人間なんですね。 

戦争の継続を期待する大佐に、では自分の息子たちはどうなるのかを問うと、大佐は、笑顔を向けながら、名誉ある死があるではないか、と言ふのを聞いて、悩んだすゑにこの男は転属を願ひ出るといふ筋書きになつてをります。 

そのおかげでこの付き人は戦死をまぬがれたのですが、戦争好きの首相のもとにある現在のぼくたちは転属、否、逃げることができません。 

といふか、戦争好きの人間ですから、諸政策についてもまるで非人間的です。軍拡にはげみ、沖縄の人々を見殺しに、いまださ迷ふ福島原発の被害者を見捨ててやまず、福祉はなほざり、死んだら「名誉ある死」とでもしておけばいいとでも言ふかのやうな扱ひでありまして、それで靖国神社などが必要となるわけなのでありますね!

 

だから、大事なのは、政治家を選ぶときに、平和を志向する人間なのか、戦争好きで、それから得られる利益のためならば、国民の命なんぞ犬のクソくらいにしか考へてゐいない人間であるかどうか、またその同調者であるか、見極める目を養はなければならないのであります。 

つまり、戦争好き人間がゐるといふ現実を見据えたうへで、政治家を選ぶことがぼくたち平凡な人間に課されてゐるのであります! 

だから、国を豊かにするためだとか、強くするためだとか、国際平和のためだとか、そんな扇動に同調したり便乗してはいけないのでありまして、かうなると、もう倫理とか一人ひとり生き方の問題なんですね。誰もが深く考へることはできないのでせうが、せめて、政治家を選ぶときには、いつも世話をやいてくれる人だからなどといふしがらみを断ち切つて、自分の家族や若者たちを「名誉ある死」とか「英霊」にしないやうな人間を選ばなければならないと、ぼくはさう思ひました。 

さうなんです。聞いてみれば戰爭を望む人は一人もをりません。それなのに、ぼくたちはまさか戦争などしないだらうと思つて、アベのやうな男を総理大臣にしてしまつてゐますが、皮ジャンを着て、米軍の戦闘機のコックピットでニコニコしてゐる戦争好きの首相のあのあほ顔をみな忘れてしまつたのでせうか。 

「平和の俳句」を詠んでそれで平和が訪れるなどと安心などしていてはいけないのでありますね。いやあ、朝から熱くなつてしまひました。 

 

それはさうと、朝食前、左手親指根もとの湿布薬をとりかへやうとしたら、なんと赤く腫れ上がつてゐたのであります! 

それで、こんどは外來病棟の整形外科へ、車椅子で運ばれて診ていただきました。 

さうしたら、もとから痛んでゐた関節炎のところが湿布薬によつてかぶれたか、尿酸値が少し高いから痛風の可能性もなくはない、なんて曖昧なお答へでした、痛み止めを飲み、あとは氷で冷やして樣子を見ませうと言つて、土曜日の豫約をとつてくれました。 

そのとき、ぼくは、長年の木工と弓道の弓手の酷使?かも知れないとは一應傳へました。 

看護婦さんに行き帰り車椅子で病院の中を送つていただきながら、あれこれ数へると、この病院では、心臓外科ほか七つの外来にお世話になつたなあなんて思ひ出されました。 

そののち、手術した医師と検査技師がきてくださり、傷口といふか、埋め込んだあとを診てもらつた結果、ペースメーカーは正常に作動してゐるといふので安心しました。それで土曜日に抜糸し、退院は日曜日といふことになりました。 

 

午後、妻がきて着替へしてからだを拭いてゐたら、なんと、弓道仲間の宮司さんが見舞ひにきてくれたのでした。 

多彩な趣味をお待ちの坂本さんと、話しが音楽のことになつたので、ぼくが昨夜ウォークマンでバッハのマタイ受難曲を聞いたと言つたら、自慢のオーディオセットがあるから訪ねてくるやうにと誘はれました。 

宮司なのに、グレゴリオ聖歌やバッハが好きで、先日弓道場で会つたときには、ヨーロッパ土産のアルハンブラとピカソのゲルニカの絵はがきをくださいました。 

まあ、同い年同士なので、弓道をつづけられるかどうかわかりませんが、たまには立石の飲み屋にでもつきあいませうか。 

 

今日はそれでも、『陰陽師太極ノ巻』 を読了。今までになく、「二百六十二匹の黄金虫」と「棗坊主」の巻が断然面白かつた。お経の文字が黄金虫となつて飛び交ふ話と、旅の山中で碁をうつ老人の勝負を見てゐたら、知らぬまに何十年もたつてゐて、本人はそれを知らずに比叡山に帰つてみたら、すべて見知らぬ僧侶がゐるばかりといつた話でした。 

そのあと、せつかく持つてきたので、『古今和歌集』を開き、「序」の部分を読みはじめました。もちろんくづし字本でですが、読みかじつたところによると、本居宣長は、元日にはこの「序」を読んださうです。 

ぼくもなんどか通読はしてゐるのですが、ここには和歌の秘密が隠されてゐるやうなのに、まだ全然理解が及んでゐません。まあ、くづし字を解読しつつ、味つてみたいと思ひます。 

 

今日の寫眞・・腫れた左手と、見舞に來てくれた坂本さん。