八月六日(土)庚申(舊七月四日)・廣島原爆記念日

 

入院生活第九日目。 

朝6時起床。看護婦さんから教へていただいた通り、携帯電話のスポーツタイマーを用ゐて、横になつたまま全身で脈拍を数へることができました。 

今日は8月6日土曜日。はじめの予定では、抜糸して退院のはづでしたが、それどころか朝から採血、三本も採られてしまひました。 

また朝食後、いつもの抗生剤の点滴注射が打たれ、それが終はつたと思つたら、担当医師から、抜糸は月曜日にしてその日に退院しませうと言はれました。その時です。左手首が腫れてきたので、左腕に刺してあつた点滴用注射針を右腕に変へました。それが、下手な看護婦で、一度目は失敗、二度目は成功しましたが、腕の関節に近いので、自由に屈伸ができなくなりました。 

そして、やつと整形外科外来へ、それも一人で歩いて行くようにとのご指示で出かけました。 

 

それからです。ぼくの脈拍と血圧が上がつたのは。 

今日診てくれた整形外科の医師から、月曜日に撮つたレントゲン写真を見せられ、「親指の骨がはずれてゐます。固定しなければならないし、鎮痛剤をやめた段階で、なほも痛むやうなら、手術をしなければなりません。決して親指を動かしてはいけません」と、おつしやるのであります。 

診察室の椅子に座るやいなや言はれたので気が動転してしまひましたが、耳を傾けてゐるうちに、それなら、月曜日のレントゲンを撮つた時に気がついたはづだし、ましてや、水曜日には診察をしたんですから、分かつて当然だつたのではないかと思ひました。要するに、二回にわたつて治療の機會を見過ごされ、放つておかれたのでした。 

ぼくが見たつて骨がはずれてゐるらしいのはわかります。分かつてゐたら動かしたり揉んだりしなかつただらうに。でも、先生は何も言はないし、ぼくも、もつと早くから治療できたはづだといふことを言ひたかつたですが、口をつぐんで、先生の処置におまかせしました。 

でも、再び火曜日に外来に来るやうに言はれた時には、退院を一日延ばしてもらはうかと思ひました。が、それも、月曜日の退院の朝に診てくれることになつたので、ほつとしました。 

親指はぐるぐる巻きに固定され、まさか、ここでペースメーカーのために用意した三角巾が役立たうとは思ひませんでした。一難去つてまた一難! 

 

外来から病室に戻つたら、すでに昼食時間が過ぎ、出されたお皿にはまたまたまた焼き魚! 果物のりんごだけをかじつて配膳台に突つ返しました。 

焼き魚、まつたく食べられないのではありません。事実、昨日の昼の白身魚をすべて食べました。けれども、それをおかずとしてご飯が食べられない。といふか、食欲がなくなつてしまふのでありますね。もう、お腹がすいた気もしません。ベッドの上でハンガーストライキでもありませんが。 

定時に妻が来たので、左手親指の一件についてすべて話しました。結論は、ことさら騒ぎ立てるのはやめよう、そして、もうこちらから話しをもちだすこともしないで、にこやかに対応しようといふことでした。 

あとで聞いたら、骨が関節からはずれるのを「脱臼」と言ふださうです。いづれにせよ、退院までに治らないことは明白です! 

 

そんなこんなで、どうなるのだらうと考へてゐたら、面識のない二人の医師が、たぶん執刀した医師だと思ふのですが、突然やつてきて、抜糸してしまひませうと、有無を言はさずに肌に密着したテープとガーゼを剥がし、そしてちよいちよいと済ましてくれたのであります。明日にはシャワーを浴びていいとも言つてくれました。もちろんすぐに妻に知らせました。 

 

(補足・「ひげ日記」原稿の実況中継を讀んだ友人からメールをいただきました。 

「よもやの見逃し。血圧と脈拍が上がったとの表現で押さえてますが、やりきれないです。心臓が人質ですからここはじっと我慢で早い退院と治癒を図りましょう。」 

その通り、心臓が人質にとられてゐるやうなものですから、騒がずに退院するつもりです。) 

 

今日の寫眞・・固定された左手首と不自由になつた両腕。焼き魚晝食。外來棟への渡り廊下。最後は、夜の東京タワー。毎晩ライトの色が違ひます。