八月七日(日)辛酉(舊七月五日・立秋

 

入院生活第十日目。8月7日・日曜日。 

昨日、左腕に刺してあつた点滴用注射針を、右腕に変へました。が、結局両腕が不自由になり、夕べも寝づらい夜を過ごしました。 

そこでまたウォークマンで、夕べはスネークマンショウを聞きましたが、聞き入つてしまひました。色褪せていない面白さですね。つらい現実を笑ひとばすには最高です! 

それで一旦寝ることができたのに、3時過ぎに脱臼部分が痛み出し、お約束なので看護婦さんに連絡し、前にのんでから6時間以上たつてゐることを確認したうへで、鎮痛剤をのみました。 

問題はこの鎮痛剤といふか痛み止めの薬でありまして、いつまでのみつづけていいのかが今の懸念です。昨晩から、ですから、のんだ時間を記録しておくやうにしました。 

 

今日は日曜日。妻が昼前にきてくれて、シャワーを浴びるのを手伝つてもらひました。 

左手と右腕の濡れてはならない部分をビニールで包み、シャワー室で汗を流しましたが、なにせ両腕が動かせません。妻にほとんど洗つてもらひました。ただ、ペースメーカーを植え込んだ部分は、看護婦さんから、泡立ててしつかり洗ふやうに言はれてゐましたが、こはごはでした。それでも、夕べは寝汗をかいたので、とてもさつぱりしました。 

 

妻が帰つていつたあと、うれしいことに看護婦さんが来て、いろいろと話をしてくれました。自分のはうからは言はないやうに戒めてゐましたが、左手の「脱臼」について、看護婦さんのはうから、早く治療がはじめられたらよかつたですねと語つてくれたのです。 

まあ、痛み出したその最初から気をつかつてくれてゐたので、みなさんよく分かつてゐたのです。さうでせう、脱臼だつたなんて知らなかつたから、腫れた状態を気づかつてくれて、たびたび氷を持つてきてくれましたし、腫れた周囲をマジックペンで印をつけたりしてくれたのでした。 

月曜日のレントゲンと、水曜日の診察でただしく診断されてゐれば、早く治療にかかることができたことは、彼女たちのはうがよく分かつてゐるでせうから、まあ、ぼくの気持ちを慮つてのことだつたのか、代表して言はせられたのかは分かりませんけれど、よく話してくれました。だから余計うれしかつたです。ぼくのはうから怒りを表はにしないで正解でした。 

しかも、6時間以上たたないとつづけてのんではいけない鎮痛剤も、夕べから今朝にかけては、薬がきれて痛みだすたびにのんでゐたのですが、今日の朝10時以降、ぢき消灯時間になる今まで、のまないで済んでゐます。 

このまま痛みがなくなつてくれたなら、明日どうにか安心して退院できせうです。 

 

今日の寫眞・・晝食の豆腐ハンバーグステーキにはあきれました。東京タワーの表情。