八月二十八日(日)壬午(舊七月廿六日 曇天、臺風接近

 

今日の讀書・・昨日讀み終へた、梓澤要著 『百枚の定家』 のプロローグで取り上げられてゐた宗祇の臨終場面を、宗長著「宗祇終焉記」(金子金治郎著 『宗祇旅の記私注』 桜楓社 所収)によつて、自分の目で讀んでみました。 

プロローグは劇的に描かれてゐますが、原文は數行です。駿河國へむかふ途中、「箱根山の麓、湯本といふところ」でのことです。 

 

「おのおのこゝろをのどめて、あすは此の山こゆべき用意せさせて、うちやすみしに、夜中過るほど、いたくくるしげなれば、をしうごかし侍れば、只今の夢に定家卿にあひたてまつりしといふて、玉のをよ絶えなばたえねといふ哥を吟ぜられしを、聞く人、是は式子内親王の御哥にこそと思へるに、又このたびの千句の中にありし前句にや、 

  ながむる月にたちぞうかるる 

といふ句を沈吟して、我は付けがたし、みなみな付け侍れなどたはぶれにいひつゝ、ともし火のきゆるやうにしていきも絶えぬ。于時八十二歳」 

 

宗祇、臨終の夢に定家卿と會つたといひ、それも、定家が密かに慕つてゐた式子内親王の歌を吟じながら。宗祇と定家とはどんな關係にあつたのでせうか。 

ちなみに、宗祇は室町後期の連歌師で古典學者ださうです。古典を一條兼良に、和歌を飛鳥井雅親に學び、四十六歳の時に關東に下つて、東常縁に古今伝授を受けたといふのですから、當代一流の人物ですよね。 

それなのに、専門書は別にして、手近なところでは岩波文庫で、『宗祇発句集』 が出てゐるくらゐです。むしろ弟子の宗長のはうが、『宗長日記』 と 『宗長駿河日記』(古典文庫) が出てゐてぼくはよく知つてゐました。 

 

また、本箱をながめてゐたら、冷泉家關係の本が數册目にとまり、そのうちの冷泉為人監修 『冷泉家 時の絵巻』 (書肆フローラ)が面白さうなので開いてみました。 

それに、神坂次郎著 『藤原定家の熊野御幸』 (角川文庫)もこの際讀んでみたいと思ひました。定家の 『後鳥羽院熊野御幸記』 の和綴じ本も見つかつたからです。 

 

今日の寫眞・・冷泉家關係の本と圖録。まあ、かういふ時のために求めておいてよかつたです。