九月(長月)十一日(日)丙申(舊八月十一日 曇天

 

六時ちやうどに目が覺めました。日曜日の朝です、とつさにラヂオをつけ、NHK第2放送にあはせました。音はあまりよくないのですが、古典講讀がはじまるところでした。 

久しぶりです。朗讀は加賀美幸子アナウンサー。解説は伊東玉美さん。「むかし語りへのいざない~宇治拾遺物語~」のその何回目なのでせうか。第八七話「觀音經、蛇に化し人を輔け給ふ事」以下ですが、第八八話途中あたりで再び寝入つてしまひ、氣がついたら八時でした。伊東玉美さんのやさしい聲に酔つてしまつたのかも知れません。 

 

さて、今朝の計測は、體重は61・1キロ。血壓は118~66。酸素量は98。そして脈博は73でした。まあ、こんなものでせう。氣力體力回復強化運動のためにはちやうどいいのではないかと思ひます。 

それでも無理をせず、遠く、近くで鳴らされる祭り太鼓の音を聞きながら、今日も讀書三昧の一日でした。 

 

今日の讀書・・『蜻蛉日記』を讀み進むかたはら、著作年代順に整理してある文庫・新書の本棚を見回してゐたら、堤和博著『和歌を力に生きる──道綱母と蜻蛉日記──』(新典社新書)を見い出し、ぺらぺらと通讀してしまひました。 

内容は、すでにぼくが讀んでしまつた、『蜻蛉日記』の上卷前半部だけを取り上げてゐて、そこに記されてゐる和歌が、いかに著者の道綱母にとつて重要なものであつたかが述べられてゐます。 

「平安時代の人々は現代人には想像も及ばないほど、和歌を重要視していた。そのなかでも、ことに和歌の才能に恵まれ、和歌に強いこだわりをもって生きてゐた、藤原道綱母。 

散文で書かれた表面だけでは蜻蛉日記の真相は分からない。とくに上卷前半部、和歌の重要性に目を向けると、あえて書かれなかった真実や道綱母の意図が明らかになる」。 

たしかに、さうだつたのかと思はしめられましたが、ぼくは、それよりも、この短い數頁にのめり込んで、微に入り細に入り研究してゐる學者がをられることに驚きました。もちろん、敬意をこめてですけれど。はい。 

ちなみに、道綱母の惱みの種の夫は藤原兼家と言ひ、藤原道長の父であります。むろん母親は違ひますけれど。ですから、『蜻蛉日記』は、上卷は夫に對する嫉妬や怒りとも思へる感情に振り回される道綱母ですけれど、中卷、下卷では、より日記文學らしい内容ですので、期待したいと思ひます。 

 

今日の寫眞・・堤和博著『和歌を力に生きる──道綱母と蜻蛉日記──』(新典社新書)と繼讀中の夢枕獏さんの『陰陽師 酔月ノ卷』(文春文庫)。それと、今日のモモタとココ。