九月十二日(月)丁未(舊八月十二日 曇り

 

七時半起床。今朝の計測は、體重は60・8キロ。血壓は95~70。酸素量は98。そして脈博は70でした。 

今日もかはらず讀書三昧の一日でした。

 

今日の讀書・・『蜻蛉日記』を讀み進んでゐますが、今日は横道にそれるといふか、寄り道といふか、昨日讀んだ、『和歌を力に生きる──道綱母と蜻蛉日記──』の中に出てきた、『一條攝政御集』を探してみました。すると一緒に、平安文学輪読会著『一条摂政御集注釈』(塙書房刊、八木書店の古書部で三〇〇圓で手に入れた本)も見つかり、突然興味がわきあがつてきました。 

一條攝政とは、藤原伊尹(これただ又これまさ)のことで、『蜻蛉日記』の作者の夫藤原兼家の兄にあたる人物です。つまり、系圖的に言へば、藤原忠平の子の師輔が生んだ兄弟です。その伊尹と妻が送りあつた歌と、道綱母と夫兼家がやり合つた歌を比較した文面が述べられてゐたのでありますが、まあ、夫の浮氣を知つてゐて、それをどう受け流すか、伊尹の奥さんが知らぬふりして輕くあしらへたのに對して、兼家の奥さんの道綱母は、生眞面目に應答していつも氣まずい分かれ方をしてゐるのですね。そんな對比がなされてゐて興味深かつたです。 

ちなみに、藤原伊尹(九二四~九七二)は、平安中期の公卿・歌人でありまして、師輔(もろすけ)の長男。「後撰和歌集」撰者の一人で、和歌所別當となり、參議・右大臣を歴任。のち攝政となつたので、一條攝政と稱されました。歌集に『一条摂政御集』があります。 

それで、この『一条摂政御集』を、『一条摂政御集注釈』(塙書房刊)を參考に讀んだら、その時代のことが、よりよく分かるかも知れません。『蜻蛉日記』の次に讀むべき本が決まつたやうなものですね。 

 

今日の寫眞・・本庄市で行はれた、塙保己一の命日に合はせて行はれた功績をしのぶ會のテレビニュース。それと、藤原伊尹の『一条摂政御集』。