十月四日(火)己未(舊九月四日 晴

 

今日も貴重な晴間でしたので、出かけることにしました。ぢきに、〈大江戸定年組シリーズ〉 が終はつてしまふので、その前にその舞臺となつた、深川を訪ねてみることにしたのです。

もちろん、作り話ですから「歴史」ではありませんが、讀んでゐて心に浮かぶ深川の情景を自分の目で確かめたくなつたのであります。物語では、隠居した三人組が借りた、〈初秋亭〉といふ「隠れ家」について、次のやうに描かれてゐます。 

 

裕福な大店のあるじがつくった隠居家にしては手狹である。だが、むしろその狭さを楽しんでいた気配も感じられた。 

こんなふうに、〈初秋亭〉は一人の気難しい風流人が、自分の憧れの世界をつくるべく、凝りに凝って建てられたものだった。 

だが、この建物が気に入ったのは、つくりが奇妙で、風雅だつたからではない。これはおまけのようなもので、ここがなによりも素晴らしいのは二階から見る景色だった。 

大川の河口を、我が家の池のように見下ろすことができる。もちろん池というには大きすぎて、湖といったほうが適確だろう。 

真向かいにあるのは、霊岸島の越前福井藩松平家の屋敷である。大名屋敷だけあって、こんもりと木が繁り、こちらから見ると、森のようである。その左手は湾曲していて、御船手組の組屋敷や船見番所もあるのだが、そこらはよくわからない。さらに向こうの鉄炮洲あたりがよく見え、ここは釣りの名所だけあって、天気のいい日には大勢の釣り人でにぎわっている。 

ちょうどこの方向に、晴れた日にはくっきりと浮かび上がるのが、霊峰富士である。・・・ 

遠くまで広がる海を挾んで、左に見えているのが、砂州でできた石川島である。漁師たちが住む佃島は、その後ろに隱れている。 

さらに窓辺に立てば、左手に石川島で分かれた大川の河口、越中島や武州忍藩の屋敷も見えている。 

刻々と色や表情を変える大川の河口と海。大名屋敷や石川島の緑。東本願寺周辺の江戸の町並み。そして富士・・・・。これらが構成する雄大で、しかも人にもなじんだ景色は、いくら見ても見飽きることがない。 

──よくぞ見つけたり。 

藤村だけでなく、友人二人もすっかり滿足しっきていた。 

 

と、かういふ場所ですからね、好奇心が乾涸らびる前にぜひ自分の目で確かめておきたかつたのであります。 

さて、どのやうにして行くか。迷はず、地下鐵銀座線日本橋驛から地上に出て、日本橋川にそつて大川(隅田川)にかかる永代橋をめざしました。つまり、永代通りを東に向かつて歩きました。 

左右はオフィスビルが亂立し、その谷間を行くやうですが、永代通りの幅が廣く、明るいので威壓感はありません。地下鐵東西線茅場町驛を過ぎ、靈岸橋を渡ると(寫眞一)、そろそろ物語の舞臺です。が、そんな時代がかつたものも景色も見あたりません。 

すると、ゆるやかなカーブの先に、永代橋が見えてきました(寫眞二)。「赤穂浪士引揚げの道」をたどつたときに、向かうがわからこちらがはに渡つたのを思ひ出しました。 

でも、この橋は江戸時代にはありませんでした。そのことを確認するために、日本橋川にかかる最後の豊海橋を渡つて、川沿ひの小さな公園にやつてきました。そこには、ところが晝休みだつたからでせうが、サラリーマンやオフィスレデイーがたむろしてまして、それが喫煙のためだつたのですね。ちよいと驚きました(寫眞三)。 

まあ、それはそれとして、雜草に被はれかけた説明板を見つけたので讀んでみました。 

「永代橋は、元禄十一年(一六九八)に隅田川の第四番目の橋として、現在の永代橋の場所よりも上流約150mのこの付近に架けられていました。」 

と書かれてありましたし、持參した『江戸切繪圖』を見て、再確認いたしました。 

寫眞四は、永代橋からながめた、(左から)豊海橋と日本橋川の大川河口と、もとの永代橋のたもとです。さらに上流にはスカイツリーが見えました。 

 

問題は、〈大江戸定年組シリーズ〉 の舞臺の〈初秋亭〉の位置です。永代橋を渡つて橋の下の「隅田川テラス」に下り、橋の下をくぐつて、下流へと向かひました。きれいに整備された歩道です。するとすぐに、描かれた〈初秋亭〉から見える景色が廣がりはじめました(寫眞五)。 

本文では、左手は深川熊井町です。しかし、歩道の左手は高い堤防に阻まれて、町内はうかがへませんし、その堤防の上を歩くことはできないので、水面に近い低いところからの景色ですが、それでも廣々としてゐます。隅田川が、石川島を挾んで分岐してゐます(寫眞六)。左隅にわづかに見える緑の土地は、越中島の先端ですね。 

大名屋敷も富士山も、東本願寺も江戸の町竝みも、ビルに阻まれて見ることはできませんでした。いや、すでに(景色としては)すべて消滅してしまつたと言つても過言ではないでありませう。ただ、大川だけが、外界の變貌をよそに、今も昔も變はることなく流つづけてゐるやうに思はれました。 

まあ、確認と言ひましても、むしろ現實をつきつけられたやうで、滿足した一方で、空しさも味はされた感じでした。堤防を越え、町内に入り、巽橋、正源寺、福島橋を經て、再び永代通りに出ることができました。あとはおまけの食事。それと深川不動と富岡八幡宮を見學して歸路につきました。それでも、一四六〇〇歩歩くことができました。 

 

今日の讀書・・昨夜、風野真知雄著 『善鬼の面 大江戸定年組6』 (二見時代小説文庫)讀了。 

 

今日の寫眞・・最後は、富岡八幡宮境内に建つ、伊能忠敬像です。