十月九日(日)甲子(舊九月九日・上弦 雨のち止む

 

今日の讀書・・今日も、『蜻蛉日記 中』 繼讀。 

すると、先日〈日本の古本屋〉を通して注文した、槇野廣造著『古都千年物語 平安朝日誌 九八〇年代』が屆きました。これは、今年の六月に求めた、『平安朝日誌 九七〇年代』の續編で、しかも、先月求めた、『王朝千年紀 平安朝日誌 九九〇年代』がこれにつづく、いはば三部作の一册なのであります。 

探してみると、といふより、古本市や古本屋をこまめに訪ねてみると、思はぬ出會ひがころがつてゐるのであります。一店一會。これなどは、探して得られるものではありませんで、古本屋さんで出會ふ以外に、このやうな本が書かれてゐたことすら知り得ません。古本屋通ひがどんなに大事かがよくわかるでせう。内容も、歴史と文學の兩陣營を股に掛けての著作ですから、ぼくには最良の參考書に違ひありません。

 

しかも、ちらちら讀みはじめた、第一冊目の『平安朝日誌 九七〇年代』は、ちやうど『蜻蛉日記』の時代なんですね。作者の一子、道綱が、「改元を祝賀して催される(九七〇年)三月十五日の殿上の賭弓(のりゆみ)に、射手として選抜されたその喜び」の場面からはじまつてゐます。そして、その勝負に勝ち、お稽古を積み重ねてきた舞ひを披露したところが、天皇にいたくほめられ、ご褒美をいただくのであります。 

が、實は、この道綱の晴れがましい姿を記した場面が、道綱の母の記した『蜻蛉日記』の中で、一番はなやかな明るい場面でありまして、以前以後の『日記』は、まるで暗夜行路をたどるやうな、作者の夫、藤原兼家に向けたねちねちとした不滿や嫉妬や不安や諦めに満ち満ちた記述滿載で、正直なところ讀むのが苦痛なほどです。 

ところで、醍醐天皇の時代まで讀んで、その後ご無沙汰してゐた『日本紀略』にも、この場面についての記録がなされてゐることを知りました。 

 

三月十五日丙辰。今日。殿上賭弓。天皇出御。親王以下參入。奏樂。兼家卿息童舞、能已得骨法。仍主上給紅染單衣。 

 

考へたら、九七〇年代は、すでに、圓融天皇の時代です。「六國史」以後は、天皇ごとに、『史料綜覽』をはじめ、『日本紀略』や『帝王編年記』や『大日本史』などの編年體の歴史書をまづ讀んでから、その天皇の時代の古記録や文學を讀む順番にしてゐました。ですから、計畫では、『蜻蛉日記』を讀むには、朱雀、村上、冷泉の各時代を踏まえておかなければなりません。 

また漢文を讀むことになりますが、ここで怠つてはのちのち悔いが殘ると思ひますので、『蜻蛉日記』を讀んでから、一度年代記にもどりまして、それから再び時代をくだることにいたします。 

漢文の年代記と、くづし字の文學作品、できれば古記録も、を交互に讀んで行くことが、まあ、これからのぼくの讀書計畫の柱になります。でも、どこまで讀み進められるのか、時間(つまりぼくの命)との競爭になるのでせう。 

 

今日の寫眞・・平安朝日誌、三部作。今日のモモタとココ。