十月十八日(火)癸酉(舊九月十八日 晴のち曇り

 

今日は通院日。心外科ではなくて、女醫先生の待つ、循環器内科であります。體調もよく、先生も順調ですとおつしやつてくださいました。ただ、心外科は一月おきでしたが、ペースメーカーを入れたばかりですし、循環器内科はこれからも月に一度の通院といふことにしていただきました。先生にお會ひしたいからとは、ちよいと言へませんでした。 

それと、尾瀨へ行くことについてお話したら、ぜひ樂しんでくるやうにと勵まされてしまひました。運動はできるだけ今まで通りにしたはうがいいやうなのであります。

 

それで、歸路、神保町に寄り、JTBを訪ねました。古書店がならぶ靖國通り南側ではなく、北側の日當たりのいいところにあつて、ぼくなどほとんど通らないところなので、人に聞いたりしてやつと探しました。廿日の上野驛から沼田驛までの割引乘車券と、高崎驛までの新幹線自由席券を求めました。沼田驛からのバスと、會津高原尾瀨口驛からの會津鐵道(東武鐵道と接續)の乘車券については、ここでは手數料が千圓以上かかるので、現地で買ふやうに言はれました。で、ちよいと心配です。 

そのあとで、新刊書店に入ることはほとんどないのですが、三省堂の地圖賣場に行つて、尾瀨の地圖を求めました。なんだか、だんだん現實味をおびてきて、氣分すでに尾瀨ですね! 

 

夜、BSで放映された、クリント・イーストウッドの ”グラン・トリノ” が、じつによかつた。ぼく好みの内容で、感動して泣けてしまひました。いやあ、いい映畫でした! 

「グラン・トリノ」とは映畫では車のことですけれど、ぼくだつたら、『つぐなひ』 といふ題にしたいと思ひました。いや、「つぐなひ」とはいへ、はたしてどうしたら人生が償はれるものなのでせうか。そんなことを考へさせられました。若い神父もいいですね。 

 

今日の讀書・・外出の今日は、持ち運びのいい本をと、繁田信一著『殴り合う貴族たち』(角川ソフィア文庫) を持つて出て、讀みはじめたら、これがまた面白くてやめられなくなりました。 

平安時代の貴族たちが、いかに日頃から暴力沙汰を引き起こしてゐたか。それを、『小右記』 と言ふ、藤原實資(さねすけ)の日記をもとにして紹介してゐるのです。これは、いはゆる歴史書では觸れられてゐない、いはば、平安貴族の裏面史と言つてもいいでせう。 

*補・・『小右記(しょうゆうき)』 は、右大臣藤原実資の日記。祖父実頼が小野宮と称したのに対して実資は後小野宮と称し、右大臣であったことから《小右記》という。九八二年(天元五)より一〇三二年(長元五)までの記事が伝わるが,中間の欠逸が少なくない。内容は宮廷の政務儀式を中心に、公私両面にわたり詳細な記事を伝えている。《権記(ごんき)》 《御堂関白記》 《左経記(さけいき)》 と時期が並行し、相互に対照することにより得るところが多いが、とりわけ 《御堂関白記》 の記主藤原道長の言動への鋭い批判が随所に見え,権貴におもねることをいさぎよしとしない実資の性格をよく表している。 

 

今日の寫眞・・尾瀨の地圖。バスの終點大淸水あたりから、尾瀨沼を越えた、バスの發着地沼山峠あたりまで。直線で八キロほどですから、歩いて十數キロはあるでせうね?  

それと、本屋でみかけた、『小右記』の現代語譯。全十六册の豫定ださうです。原文は入手濟みなんですが、その出番を待つてゐるところです。