十月廿四日(月)己卯(舊九月廿四日 晴

 

〈尾瀨トンデモ紀行(五)〉 大江濕原から沼山峠休憩所まで

 

振り返つてみますと、出發地大淸水(標高一一八〇メートル)と三平峠(標高一七六二メートル)の距離は五・二キロ。標高差は五八二メートルでした。どれだけ急坂なのか、檢討がつきかねますが、とにかく辛い道でした。 

三平峠から尾瀨沼山莊までが約一キロ。そこからビジターセンターまでがやはり一キロでした。計、七・二キロ。殘り、大江濕原の間が一キロ。さらに沼山峠を經て、バスが出る沼山峠休憩所までが地圖によると二・三キロです。全行程一〇・三キロ。といふことは、あと三分の一の距離を殘してゐることになります。これは、急いだはうが無難です。

 

ところで、實際に見た尾瀬沼は、湖といつてもおかしくはないほど廣々として、たくさんの水を貯へてゐますが、沼どころか、沼畔の標柱によると、「一級河川」なんですね。きつと、廣さや深さなどが、湖はもちろん、沼の條件にも達してゐないのでせう? 

その尾瀨沼に注ぐ一番奥にある川、といふより澤と呼ぶべきなんでせうが、その澤の流域に廣がるのが、「大江濕原」のやうです。

 

「大江濕原」は、いはゆる「尾瀨ヶ原」とはくらべものにならない小規模な濕原ですが、それでも水草が枯れ果ててゐるとはいへ、とても美しく思ひました。春、新緑が芽吹く時期はきつと想像できない美しさだらうと頭の片隅にその映像が浮かびつつも滿足でした。 

足取りは輕いとはいへませんでしたが、枯れわたつた濕原をつらぬく木道を歩きました。イメージに抱いてゐた尾瀨ヶ原と重なり合ひ、尾瀨を歩いてゐる喜びにやつと滿たされました。

 

二時四〇分に濕原に入り、盡きたのが、三時五分。そして、最後の難關、沼山峠には三時三五分到着でした。いいかげん情けなく感じてゐるので繰り返しませんが、息がつづかなくて、ハアハア、ハアハア何度立ち止まり、木道の端に腰掛け、よろつきながら登つたことでせう。左右は熊笹が生い茂り、見晴しもよくありません。だいいち、振り返つてゐる餘裕はありませんでした。 

やつと、峠らしい場所につきましたが、すでに日は陰り、薄暗くなつてきました。あとは下りだけと思ひつつも、なんだか焦つてしまつて、息苦しさは最後までなくなりませんでした。 

それでも、沼山峠休憩所には、三時五〇分到着。最終バスにはどうにか間に合ひました。賣店も開いてゐましたし、ここでは携帶電話が使へるといふので、妻に、さしつかへのないていどに状況を傳へました。 

 

今日の寫眞・・〈尾瀨トンデモ紀行(五)〉 大江湿原。沼山峠から尾瀨沼を振り返る。沼山峠休憩所に到着。 

 

今日の讀書・・終日、黒川博行著 『疫病神』(新潮文庫) を讀みつづけ、夜も更けてやつと讀み終はりました。面白くておもしろくて、途中でやめることができませんでした。