十一月(霜月)十一日(金)丁酉(舊十月十二日 雨のち小雨

 

今日の讀書・・『日本紀略』 を丁寧に讀んでいくと、あれ、同じようなことが前にも記されてゐたな、といふ記述がいくつも目にとまります。その中から、今日は、「穢(けがれ)」と、その影響についての記述を書き出してみます。箇條書きにします。引用した部分は、昨日と同じく、天徳元年(九五七年)から同四年(九六〇年)までです。 

・月次神今食、依内裏穢氣、延引。於八省院東廊、有大祓事 

・大原野祭、依犬死穢延引。 

・依内裏穢、御燈停止。 

・御軆御卜奏延引、依神祇官馬斃穢也。 

・依内裏犬産穢、例幣延引。 

・大原野祭停止之、依落胎穢觸來内裏也。 

・於建禮門大祓、依宮中頓死之穢也。 

・停月次祭、神今食、以内裏有死穢也。於建禮門大祓。 

・釋奠延引、依本寮犬死穢也。 

 

以上は、「穢」により、朝廷行事が中止になつたり延期した場合の實例です。「穢に依り、延引(停止)」がきまつた言ひ方になつてゐます。 

月次祭(つきなみのまつり)と神今食(じんごんじき)、大原野祭、御燈(みあかし)、御軆御卜(ごたいのみうら)、例幣、それに釋奠などです。 

その原因となつた「穢」については、内裏が「穢氣」や「犬死穢」によつて穢されたといふものが多く、その他、「馬斃穢」、「犬産穢」「落胎(流産)穢觸」、「頓死之穢」、「死穢」によるものがあり、またただ「穢」として、どのやうな穢だつたか記されてゐないものもあります。 

さらに次のやうな例もあります。 

 

・右大臣師輔家大饗依穢停止。 

・右兵衛陣前、裹袋置落胎、為卅日穢。 

・去廿一日、綾綺殿南出骸骨、准五軆不具、有七日穢 

 

右大臣師輔家の大饗(宴會)が取りやめになつたといふことは、朝廷といふ秩序以外の個人においても、穢意識が存在し、當時の人々の生活を規制してゐたことがわかります。 

また、役所の前に、「裹袋置落胎(流産した子が袋に入れられて放置されてゐた)」ことにより、「卅日穢」(三十日の穢)となされたとありますし、綾綺殿の南から骸骨が出てきたが、「五軆不具」(全身そろつた死體ではない)ので、「七日穢」としたといふやうに、その穢の質や度合ひによつて、喪に服するといふか、外出を控へる日數が定められてゐたやうなのであります。 

 

今日の寫眞・・逃げてしまつた寅ちやんと於菟ちやん。もどつてきて、居着いたやうで、ひと安心。