十二月廿日(火)丙子(舊十一月廿二日 晴

 

今日の讀書・・今日は循環器内科に通院。貴重なぼくのご公務です。もちろんいつものやうに正々堂々と外出してまゐりました。持ち歩く本も、このところだいぶ硬い本を讀んできたので、そのついでの一册、伊藤晃著『平將門―その史実と伝説―』(崙書房) と、より軟らかさうな、加門七海著『平將門魔方陣』(河出文庫) の二册。でも、あまり讀まなくてもすんでしまつたので。殘念やらうれしいやらで持ち歸りました。 

それで、早く病院を出られたので、神保町へ、といつても、今日は、成光さんのラーメンを食べたいがために直行したのであります。待たないで座れ、實に味のいい普通のラーメンをいただくことができました。でも、ちよいと濃いめです。

 

まあ、それでも、せつかくの神保町ですから、早めに歸るつもりはあつたので、白山通りを水道橋驛に向かひ、日本書房さんに寄りました。そうしたら、ぼくのために出してくれたのかも知れないと思ふくらゐ、店先のワゴンの上に、影印本のシリーズが十數册、それが驚くなかれ各册一〇〇圓で無造作に積んであつたのであります。もうぼくは有無を言はずにそのうちの十二册を求めました。『山家集』あり、『詠歌大概聞書』あり、『保元物語』あり、『建禮門院右京大夫集』あり、の大収穫! 

ここのところ、探してゐた本が突然に現れるので、ぬかりなく目を注いでゐなければならないことをあらためて痛感した次第です。 

 

ところで、『将門記』 について、面白いコメントがあつたので、寫しておきます。さう、現地探訪は明日に迫つたのであります。 

 

「(『将門記』は)、江戸時代に芝居で知られた佐倉宗五郎みたいな、義民の決起でなかったかと迷わざるをえないのである。 

この將門記は中国の故事の引用と、仏果をとく抹香臭さを全体から差し引いてしまうと、『一人の若者が都へでたが出自が、日本原住民の俘囚の子孫であるために、いくら野望にもえても立身できず挫折して田舎へ戻ってきたら、伯父や従兄が彼の不在中をよい事にして、許嫁の娘を奪い田畑まで横領されていた』 となっているのみである。 

そして今の茨城、埼玉、栃木、千葉、東京の住民どもが現代でいうならば手弁当であつまり、『將門を、守り助ける会』 といった共闘組織を作って、当時の機動隊の弾圧に対して弾固として実力行使で抵抗したものとみるか。 

『せっかく失意で戻ってござったに、抱かっしゃる女まで奪われなさったは、なんとお気の毒な・・・・』  

と、関東五国その頃の坂東八ヶ国の有志が武器をもって集結し、彼をシャーウッドの森のロビンフッドに仕立てあげたものか。」 てへり。 

 

今日の寫眞・・病院の待合所にて。成光さんのラーメン。今日はバツチシ寫眞におさめてきました。