十二月廿五日(日)辛巳(舊十一月廿七日・イエス誕生日 曇りのち晴

 

今日の讀書・・軟らかさうな、加門七海著『平將門魔方陣』(河出文庫) を讀み終へました。ところが、軟らかいどころか、オタク世界、といふかオカルト世界に引き込まれさうで、ちよいと危険な臭ひがしました。けれど、硬くて眞面目な本では取り上げさうもないことがズバズバ書かれてゐて、このやうな切り口もまた面白くていいなあ、と思つてしまひました。ひとつだけ引用しておきます。

 

「新政府(註・明治政府)が將門を嫌ったのは、將門が朝廷に刃向かう者であり、幕府の守護神だと思ったからだ。 

しかしそれは誤りである。 

將門は徳川江戸入り前から、江戸にいた崇り神である。幕府はそれ故に彼を敬い、彼を擁護し続ける大地の霊におもねったのだ。新政府はそれを勘違いして、將門の息の根を完全に止めようとしてしまったのだ。そして言うならば、彼等はそれで江戸・東京と言う名の大地の機嫌を損ねたのである。 

幕府が出来てから消滅するまで、大きな戦争ひとつなく、どんなに多種多様な文化がこの地から芽生え、発展したか。 

新政府の御用呪術者は、その理由をもっとよく考えてみるべきだったのだ。 

(そう。アンタが馬鹿なことをして以来だ。日本が平和じゃなくなったのは)」 

 

どうです。「アンタ」とは、時の薩長政權であり、現在の岸の孫、同じ長州の安倍政權でせう。ぼくはこの言葉で、七海さまにぞつこん惚れてしまひました! 

 

*補注・・加門七海 東京都墨田区生まれ。多摩美術大学大学院修了。学芸員として美術館に勤務。1992年、『人丸調伏令』で小説家デビュー。日本古来の呪術・風水・民俗学などに造詣が深く、小説やエッセイなどさまざまな分野で活躍している。以下、ノンフィクションものだけをあげると 

『平将門魔方陣』につづいて、『大江戸魔方陣 徳川三百年を護った風水の謎』、『東京魔方陣 首都に息づくハイテク風水の正体』、をはじめ、『うわさの神仏 日本闇世界めぐり』、『うわさの神仏 其ノ二 あやし紀行』、『黄金結界 甲州埋蔵金の呪いに挑む』、『うわさの神仏 其ノ三 江戸・TOKYO陰陽百景』、『うわさの人物 神霊と生きる人々』、『お祓い日和 その作法と実践』、『「怖い」が、好き!』、『もののけ物語』、『猫怪々』 などがあります。みなけつこう面白そうですね。 

 

將門紀行 現地探訪》(二)

 

石下驛を降りたぼくたちは、早速、文殊の知慧、三人で今日の豫定をあれこれ確認しました。最初は、歩いて將門公苑を訪ね、つづいてタクシーで坂東市までワープして、「將門史跡めぐり」コースを歩き、最後に、さしま郷土館ミューズで開催中の、「坂東市本将門記―将門伝説と古代東国の争乱―」なる企畫展を見る順で行こうといふことになりました。 

驛前からして閑散とした町です。その驛前を眞西に向かつて歩くとすぐに鬼怒川にぶつかりました。かかる橋は石下橋。川は滔々と流れてゐましたが、洪水がおきたらひとたまりもないと思へるほどの平地がどこまでも廣がつてゐました。それだけに眺めはよかつたです。 

渡り終へると道は下り、はじめの角を左折して、またすぐ右折してゆるやかな坂道を上りきつたところが 「將門公苑」 でした。將門の父良將が住んでゐたといふ「豊田館跡」ですね。場所は、常総市向石下(むこういしげ)、法輪寺といふ小さなお寺に隣接してゐました。

 

「豊田館跡」と言ひましたが、「平將門公本豊田舘跡」といふ石碑が建つてゐました。將門の本據もここにあつたといふことでせう。それにしても驚いたのは、巨大な石碑といつたらいいのでせうか、まあモニュメントなんでせう。「平將門公出陣『風と雲と虹と』」 と書かれた將門騎乘の圖柄を中心に、兩翼を廣げたやうな形です。右翼に 「豊田館址と平将門公事蹟」 が、左翼に 「史跡 向石下城址」 の説明がおのおの刻まれてゐます。 

いや、また公園のやうな廣場の木蔭にどんと据えられた將門公のレリーフがすごいですね。巨石にはめ込まれてゐます。なんだか、はじめから地元の熱意といふか、將門によせる思ひの大きさに言葉を失ふほどでした。 

そこで地元の解説を一言。 

 

*豊田館は将門の父良将が住んでいた場所であり、延喜三年(903)3月、一代の英雄平将門が生まれ、育ち、また乱にあっては前半期に本拠となった場所である。将門を顕彰するに最も相応しい場所といえるだろう。 

京に上った将門が望み叶わず帰郷したのが延長九年(931)、乱が始まるのが承平五年(935)である。伯父良兼と対立を深めた承平七年(937)に営所を石井(坂東市岩井)に移したという。その後、将門は関東を席捲して「新皇」と称し除目を行うも、天慶三年(940)に討たれることとなる。 

ここは将門公苑として整備され、巨大な石碑で将門公の生涯が語られている。そして、将門公の肖像がレリーフとなっている。銅像は各地にあるが、レリーフは珍しい。日展参与の彫刻家宮地寅彦(1902~1995)の制作である。「風と雲と虹と」で将門公を演じた加藤剛がこのような姿だったのを記憶している。 

 

へえ~、ここでは大河ドラマがいまだに生きてゐるんですね! 加藤剛がモデルなんだ。(註・NHK大河ドラマ 『風と雲と虹と』 は、第十四作で、一九七六年一~十二月に放映。平將門には加藤剛が扮しました。ちなみにぼくは見た記憶がありません) 

 

今日の寫眞・・鬼怒川と「平將門公本豊田舘跡」にて。