正月廿七日(金)甲寅(舊十二月卅日 晴

 

千葉市を再発見しよう!》(二)

 

「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」は、國道から一段も二段も、いや數メートルは高くて、背後の稻毛公園の松林の先端に建てられてゐるといつた趣です。場所もいいですが、また建物がご立派。實物を見ていただくしかありませんが、まあ、寫眞でもお分かりになるでせう(補注一と今日の寫眞參照)。 

また、案内してくださつた係の方が建物の内部を細かに説明してくださり、一言も二言も多い我がメンバーの質問にも丁寧に答へてくださり、充實したひと時を送ることができました。曰く、「緩やかなアールの階段が続く吹き抜けのホール」。曰く、「本格的な書院造の主室の天井は囲炉裏にいぶされた煤竹に縁どられた折上げ格天井になっている」。曰く、「床の間の床柱は神谷伝兵衛らしく葡萄の古木を大胆に使用」。曰く、「付け書院の欄間は葡萄の透かし彫り」等々、目を見張りつぱなしで、あいた口もふさがりません。 

まあ、それにしても、金をかければかういふものもできるのだといふ見本のやうな感じがいたしました。いや、やつかみで言ふのではなく、こうやつて、技術や文化が後世に傳へられていくのだらうなあとは思ひましたよ。でも、たしかに素らしい。

 

さう、この傳兵衛さんについては、昨年の九月、楓さんが出品された「水墨畫展」を見に牛久を訪ねたとき、楓さんに案内されて訪ねたのが、「シャトーカミヤ舊醸造場施設」といふワイン工場でありまして、その創業者が谷傳兵衛その人でありました。ワインの地下貯藏場では、まだいい香りがただよつてゐたのが懐かしく思ひだされます。 

 

*補注・・「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」 いただいた〈パンフレット〉によりますと、日本の「ワイン王」といわれた明治の実業家・神谷伝兵衛の別荘として大正7年に建てられました。当時、母屋である木造雁行型の和館とゲストハウスのこの洋館が隣接していましたが、洋館のみが残り、一般公開しています。全国的にも希少な初期の鉄筋コンクリート建築で、大正12年の関東大震災でも崩れることなく今に残りました。 

稲毛が海辺の保養地だった頃の記憶を物語る建物としても価値があり、国の登録有形文化財に指定されています。 

 

さて、次はと思ひきや、同じ敷地内にある、〈千葉市民ギャラリー・いなげ〉を訪ねました。「2017 新春美術小品展」 と 「牧田愛 MOVING」 といふ展示がなされてゐて、これはまあ、おまけみたいな目の保養でした。 

それより、その事務の方なのか、學員の方なのか、ぼくが持參した寫眞を見せたところ、鳥居は「一の鳥居」で、たしかに祠がのつた岩もあるとのことで、ぼくは有頂天。先が急がれました。 

 

今日の讀書・・今日は、昨日の記録を書くのに専念し、それでも少しは 『神無き月十番目の夜』 を繼讀することができました。 

 

今日の寫眞・・「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」にて。最後の一枚は、ギャラリー前庭にて。