二月十一日(土)己巳(舊正月十五日 晴

 

それで、昨夜は早く横になつたのはいいのですけれど、誘惑に負けて、結局寝返りをうつたびに、『宇都保俊蔭』 と 『書物捜索 上』 を交互に讀んでしまひました。そして、今日の午前中には 『書物捜索 上』 を讀み上げたのですが、讀んでゐていくつかの發見がありました。 

そもそも、横山重さんはの書物捜索の熱意が尋常ではありません。それは、ぼくみたいに個人的に興味ある本をあれこれ買ひあさるのとは違ひ、信念を持つて集めてゐるところがすばらしいし、偉いと思ひました。 

どんな信念かといへば、それは、「本書編集委員」の方のお言葉を引用しませう。 

「『書物捜索』 の著者は、類稀な蔵書家であり、愛書家だ。ただ、世間の書痴の徒との違いといえば、その等身大の業績だろう。新道集・本地物から全室町物語の本文化へ。・・・さらに連動的に説経・古浄瑠璃へと全活字化の成果を生みつつある。活字化を了した本文千余点。驚くべき精力である。まさに、『正しい本文以前に正しい研究なし』 という年来の信念の見事な実践である。それらの善き底本を得るための書物捜索の旅路五十年。その間巡り合った書物と人間への、これは、自由かつ克明な会見記である。」 

つまり、ご本人の言葉を用ゐれば、

 

「原本通りの復刻は、絶対に必要だ。何をしなくてもいいから、まずこのことは、なされなければならぬ。研究も解釈も、ここから出発すべきである。そうでなかったら、どんな研究も主張も、本当は価値がなくなると、自分は思っている。」 

そこで、ちよいと、古事類苑と大日本史料に苦言を呈したあとで、さらに、 

「私は何よりも先に、原本通りの復刻本が、できなければウソだと思う。それをやるには、異本調査をやって、いいと思われるものは、何種でも出していくことだ。 

それを思うと、塙の群書類従こそ、最もいい仕事であった。原本通りの復刻をしたからだ。後世、いかなる学者でも、群書類従のお蔭をこうむらない学者というものは、ないであろう。殊に、原本が既に失われているものにあっては、なおさらである。」

 

どうですか、この熱情! それでです。ぼくの藏書のなかに、横山さんが捜索して發見したその原本を發見したのです。もちろん、レプリカですけれど、レプリカといへば本はみなレプリカですから、ぼくにとつては本物です(今日の寫眞參照)。 

その原本發見の場面を、『書物捜索』 から抜き書きしたいと思ひます。 

 

「広島文理大の栗田元治教授は、江戸時代史の大家であるが、かねて蔵書家としても著名だ。」 

その、栗田教授の蔵書目録が本になると聞いて、 

「私は、書店の名を聞いてきて、すぐ注文のハガキを書いた。間もなく『栗田文庫善本目録』という、和装の本が届いた。私どもは、みんなで額をあつめ合って、興味を持って、目録を見た。 

『大分、古活字版が多いぞ』 と、私は目録を正面して、頁を繰っていった。『それ、宝治二年の往生拾因』 と私が言うと、誰かが 『仏書まであるわ』 と言った。 

『仏書もあるし、他のものもあるさ』 と私は言って、それ 『拾芥抄』 がある。それ 『関ヶ原軍記』。それ・・・・・と私は順に声を出して読み上げた。『饅頭屋の節用集』 と私が言うと、太田君は 『ウウン』 とうなってみせた。が、ついに、私どもは、同時に、アッと叫んだ。 

『ちくぶしまの本地。・・・・・絵入りの古活字版だ』 

私は、ついに目録から目を離して、言った。皆が息をのんで、顔を見合わせた。 

こんなエライ本があったのか。書籍目録にもなく、諸家の蔵書目録でも、ついに見たこともない本だ。しかも絵入りの古活字本である。」 

 

いやあ、感動しますね。かうして捜索した書物が、嚴密に校訂されてはじめて、活字化(翻刻)され、さうしてぼくたちが目にすることができ、また正しく研究の史料・資料になることができるのです。

 

例へば、岩波文庫の井原西鶴の作品を見てみませう。『好色一代男』 や 『好色一代女』 に、校訂者として、横山重さんのお名前が記されてゐますね。決して著者ではないけれども、いや、著者と並ぶ重要な仕事といふか、研究がここには込められてゐるんですね。ぼくもほとんど知らない世界でした。 

つづいて、『書物捜索 下』 を讀みはじめました。 

それで、風邪らしき徴候は繼續し、鼻水と惡寒がやみません。今晩も早く寢ことにします。  

 

今日の寫眞・・『ちくふしまのほんし』 復刻版。帙に納められてものものしい。解説によれば、「底本は横山重氏藏の古活字丹緑本」であり、原本の「再現につとめた」装丁となつてをります。もう一枚は、その、「絵入り」頁です。 

もちろん、ぼくはくづし字のお勉強のために求めたので、まさか、これほど騒がれた本とは思ひもしませんでした。