三月九日(木)乙未(舊二月十二日 晴

 

今日の讀書・・今日も 『宇都保俊蔭』 を讀み進みました。 

ですが、それを讀書といつていいのか、くづし字の解讀なのかは微妙なところで、パラフィン紙の上から文字を讀むやうで、まどろこしいといふか、理解が追ひつかないといふか、運針で進んでは半分返つてまた進む縫ひ方がありますが、まさにそのやうな、遅々たる進み方しかできなかつたのですが、今日などは、内容にもよりますが、讀みながしながら、それに理解が追ひつくことがしばしばでした。 

これは、たしかに、和歌を讀むのとはあきらかに違ひます。ベッドの 『宇都保俊蔭』 の裏には、以前から 『古今和歌集』 がかかつてゐて、たまにちらちら見るのですが、一つ二つ、ながめて讀むには、くづし字はいいのです。文字の理解と意味内容の理解が竝行に、といふか同時にかさなつて心に刺激を與へてくれるからです。 

ですから、和歌のはうが、くづし字の勉強には向いてゐると思ひます。讀みと意味とをこねまわしながら、しだいに詠はれてゐる世界を髣髴とさせていくところなど、速度は遅くてもいいわけで、くづし字の學びにはぴつたりです。 

ところが、物語はさうはいきません。中村眞一郎さんがおつしやつてゐるやうに、「小説は、どれほど長くても、なるべく一息に読むべきで芸術である」ものなんですね(『王朝文学論』)。ちまちましたくづし字解讀では、讀書になつてゐないといはれれば、はいさうです、といはざるを得ません。 

 

中村眞一郎さんの 『王朝文学論』 を出したので、ついでに、その中の 『宇津保物語』 のところをみると、これがまた面白いのです。といふのは、今日手に入る 『宇津保物語(『宇都保俊蔭』)』は、大長編(分量として、『源氏物語』 の五分の三の長さ)のそのほんの最初の一部分なんです。 

にもかかはらず、『王朝文学論』 ではかういふことが述べられてゐます。 

「『宇津保物語』 の内容の豊富さ、多様さは、見事に平安中期頃の社会の全貌と、その中に生きる人間群像の多様性とを描き出している。 

『源氏物語』を読んでいると、平安貴族は極度に女性化され、歌と恋とだけの、優雅な専門家であると思われるのだが、『宇津保』のなかの貴族たちは鷹狩とか競馬とかポロとかの、男性的なスポーツを、日常の習慣としていて、やはり、こちらの方が事実だったろう。」 

「彼等は宮廷内でさえ博打を打ったり、賭碁をやって、現金のやりとりをする。ひどい男は博打に負けて礼服を巻き上げられ、参内不能におちいったり、また貴族の礼装に不可欠な佩刀を質に入れようとしたりしている。」 

殘念ながら、全編を讀めないのですが、それでも、今日讀んだところに、俊蔭の娘とその子が深山の「うつほ(木の空洞・・ここから『宇津保物語』といはれる)」に隠れてゐると、東國のもののふのがやつてきて、亂暴狼藉をはたらく場面がありました。 

さう言へば、讀みかけてゐる、繁田信一著『殴りあう貴族たち』(角川文庫)は、いはゆる平安貴族の實態を暴露してゐますからね、これも樂しみです。 

 

今日の寫眞・・中村眞一郎著 『王朝文学論』 と、今日屆いた、五十嵐智著 『五十嵐日記 古書店の原風景』(笠間書院)。 ご主人、これによると、鶴岡生まれのやうです。

 

それと、今日のモモタとココ。