三月廿九日(水)乙卯(舊三月二日 晴

 

今日は、慈惠醫大病院への通院日。ですが、エコー檢査を受けるために、いつもよりずつと早く家を出て、ラッシュアワーと重なつたので、けつこう大變でした。いや、勞働者のみなさんは毎朝のことですものね、ご苦勞さまとあらためて思ひました。 

ところで、心臟外科の診察では、エコー檢査とレントゲン寫眞の結果は良好でした。ただ、心臓が衰へてきてゐることはたしかなので、無理しないやうにとのことでした! 

午後のもう一つの科では、今後コレステロールに氣をつけるやうご指導がありました。實は、心臟外科とこの科については、今日で最後となり、今後は循環器内科ですべて診ていただくことになりました。たいへん長い間お世話になりまして、感謝にたへません。 

 

歸路、新橋驛まで歩くと、SL廣場で古本市が開催中でした。根氣がなくなつたのか、早足で目を通しただけでしたので、いい捜索はできませんでした。 

ただ一册、安政四年(一八五七年)に翻譯された、『魯敏遜漂行紀略』(ロビンソン漂流記) を見つけました。和本でしたが、昭和五〇年に復刻されたものです。でも、内容は翻譯當時そのままのくづし字本です。 

また、時間の餘裕があつたので、有樂町の出光美術館を見ようと思つて行くと、昨日から四月半ばまで休館中でした。『古今和歌集』 の古筆が展示されてゐるかどうか分からなかつたのですが、成田書道美術館のがあまりにも不自然だつたので、たしかめてみたかつたのです。

 

今日の讀書・・平岩弓枝の 『道長の冒険』 は、その名の通り荒唐無稽の物語です。平安時代を學んでゐることから言へば、讀むにあたひしないと言へるのですが、これが、振り返つてみると、『宇都保俊蔭』 の前半の雰圍気とよく似てゐるのです。日本國のはるかかなたの國々をめぐるところがです。 

それに對して、いま讀み進んでゐる 『落窪物語』 のはうはより現實的な内容の物語で、當時の平安貴族とその家族や夫婦關係などの樣子が分かつてとても勉強になります。 

例へば、平安時代は一夫多妻だつたと誰もが言ひますが、いやいや 『落窪物語』ではさうではありません。さうでなかつた貴族の夫婦もゐたことを知りましたし、さらに、一夫多妻が男女を不幸にしてゐる原因であるとまで述べてゐるのです。目からウロコが落ちるとはこのことを言ふのでせう。 

とくに、『源氏物語』 では、あたりまえのやうに、一夫多妻が語られてゐて、これが當時の姿だと信じて疑ひませんでした。もちろん、經濟的な裏付けがどうなのかは判然としませんが、『落窪物語』 によつて、通説を信じてはいけないことを敎へられました。やはり、自分で原典にあたることが大切です。 

 

今日の寫眞・・新橋驛前SL廣場の古本市。それと、妻と待ち合はせていただいた、上野廣小路の「とんかつ武蔵野」さん店内。最後は、魯敏遜漂行紀略』の一部。