四月十七日(月)甲戌(舊三月廿一日 晴のち雨

 

昨夜はひどかつた。咳がです。痰も出てとめどがないありさまでした。それで、明け方まで一睡もできず。でも、どうにかうとうとしたらしいのですが、今朝は齒醫者に行く豫定になつてゐたので、寢入りばなを無理やりに起きて、どうにか出かけることができました。 

いつたいどこが具合惡いのかわかりません。喉なのか肺なのか。熱は平常ですし、症状といへば咳と痰。二月にも同じ苦しみを味はつて通院しましたが、なんにもせずに、ただ咳止めの藥をいただいただけでした。それも飲まずにすみましたから、今回は病院はやめました。なるやうになれ、といつた氣分です。 

でも、妻がかひがひしくはちみつ大根汁をつくつてくれたり、漢方藥をむりやり飲ませたり、のど飴を幾種もそろえてくれたりしたおかげでせうか、夕方には咳の回數がぐぐつと減少して、ほつといたしました。が、まだ豫斷はゆるされません。 

 

今日の讀書・・母が手術した日からちよぼちよぼ讀みはじめてゐた、山田風太郎著『あと千回の晩飯』(朝日文庫) を讀み上げました。著者七十二歳から七十四歳にかけてのころに執筆されたものですが、いい勉強をさせていただきました。 

そんな中から・・・「死は推理小説のラストのように、本人にとって最も意外なかたちでやってくる。」といふのは當たり前として、 

「そりゃ人間には、老化ということがあり、若いころ簡単にできたことが、年とともにできなくなるのは当然だが、しかし、幼少年期に身体でおぼえたことは、年をとってもある程度通用することもあると思い、(著者が得意だつた)絵や泳ぎや下駄などはそのなかに入ると信じていた私には、(それがことごとく出來なくなつてゐたので)結構驚くべき体験であった。 

老化もさることながら、いわゆる廃用性萎縮の作用のほうが、大きいと考える。 

幼児は、あらゆる才能の可能性を持っている。それを培養するために教育するのだが、しかし、『はたち過ぎればただの人』という結果が大半であるところを見ると、培養よりも廃用性萎縮の作用のほうが大きいのではないかという気がする」。

 

つまり、(今それを)使はなければ、どんな才能や技術や經驗したことも退化するといふことです。逆に、使へば使ふだけ必要に應じて能力は與へられ、衰へることはないといふことでせう。この言葉を信じて歩んでいきたいですね。 

それと、「私は座右の銘など持たないのだが、強いていえば、『したくないことはしない』という心構えだ。」といふのはぼくも同じだなあと思ひました。まあ、ぼくの場合は、それを許してくれた妻のおかげであることは記すまでもありません。 

 

《東京散歩》〈コース番號4〉「江戸名勝探勝」 (つづき)

 

ところが、名勝は「名主の滝公園」までで、あとは下町の路地をたどるだけでした。 

住宅の右手奥には路地と行してJRが走つてをり、北上するに從つて路地と線路の幅が狹まり、ついに踏切が現れました。はるか頭上には新幹線が走つてをりますが、踏切は京濱東北線はじめ、宇都宮線、高崎線がひつきりなしに通り過ぎて行きます。もちろん鐡道ファンのぼくは、休憩がてら、それら各種の車輛を見學いたしました。 

そこからは、坂と石段をのぼつて高臺にあがりました。すると、新幹線の高架橋とほぼ同じ高さになり、走り去る山形・秋田新幹線の走行姿を寫眞におさめることができました。

 

ガイドブックの地圖に引かれた線に從つて歩くのも、けつこう氣をつかひます。間違つたつていいのですが、ここは訪ねてみたいといふところもあるわけでして、その一つが、芝居小屋でした。くねくねと、ちよいと自信がなくなつた通りをたどると、路地の辻の斜交ひに、幟やはではでの看板が見えたときにはほつとしました。 

〈篠原演芸場〉とあります。ガイドブックには、「昭和二十七年開業の大衆劇場」と書かれてありまして、決して假小屋ではありません。木戸錢大人1600圓、小人900圓。晝の部一二時三〇分開演、夜の部六時開演となつてゐますね。できるなら覘きたいところですが、まだ三時半ですから、いづれまたといふことにいたしませう。

 

さあ、この演藝場通り東に進むと、東十条驛の南口に出ますが、途中の舊道を左折し、また北上いたしました。舊道と思ふのは、くねくねと細いわりには車の通行が多く、十条冨士塚なんていふ、由緒ありげな神社を見かけたからでもあります。 

餘談ですが、ガイドブックには、「富士塚」のマークが特記されてゐて、またそれだけにたくさんの塚が存在してゐることがわかります。〈コース番號2〉では、中仙道沿ひの氷川神社に、〈コース番號3〉では、同じ名前の氷川神社に池袋冨士塚がありました。大江戸の庶民の信心の深さと多様性にはおどろかされますね。

 

車に氣をつけながら、さびれた家々の脇をたどることもわずかで、環七通りにぶつかり、こんどは右折するとJRを跨ぐ平和橋に到着しました。臺地の上から低地に向かつてかかる橋でして、たいへんながめがよいところです。 

ゴールの東十条驛が跨線橋の上から見えました。ガイドブックには、「馬坂名残の階段」と記された、變哲もないコンクリートの石段と坂道をくだると、線路際の道路。あとは電車やコンテナ列車をやり過ごし樂しみながら、東十条驛北口に到着しました。 

時間は四時一〇分。歩いた歩數は、七二〇〇歩でした。 

 

今日の寫眞・・JR線踏切。中十条一丁目の高臺から。珍しい芝居小屋。十条冨士塚。環七通りの平和橋から東十条驛を見はるかす。路地のネコ。