四月廿六日(水)癸未(舊四月朔日・朔 曇り

 

我が「壽通り」が、最近災難つづき、といふか、來るべきものが來たといつたところでせうか、九十三の母が骨折して入院中ですが、それと前後して、何人もの方々が救急車で運ばれ、また警察がでてくる事態におちいつてゐます。 

まづ、近江さんのご主人が救急車で運ばれて、つい先日亡くなられました。八十六、七歳です。また、九十六歳で一人住まひの安田の叔父さん(父の妹の連れあひ)が、家の中で倒れてゐるのが見つかつて、やはり救急車で入院し、さらに裏の尾池さんのおばさん、九十八歳でやはり一人住まひですよ、それが、朝、食事を運んできたサービスの方に、血を流して倒れてゐるのを發見されて、警察と救急車が來て大騒ぎ。 

そして、お向かひの九十四歳の濱口さんのおばさんは、元氣すぎて、遠くに住まふ子どもたちの世話になりたくないといふか、一人でゐたいといつて、信ちやん、正ちやん、横濱の友ちやん、北海道の泰子さん、みなぼくの幼なじみですが、その説得にも負けずに、「一人でゐたい!」とがんばつてをります。どうしたものでせう? 

ぼくなどは、毛倉野の家は借家ですから別にして、家を作らなくて、いや、作れなくてよかつたなあと、今になつて胸をなでおろしてをりまする。はい。 

 

《東京散歩》〈コース番號5〉「川邊散策」 (つづき)

 

王子神谷驛スタートのコース名と内容にはかうあります。「川邊散策 隅田川・あらかわ遊園 王子神谷駅~都電あらかわ遊園地前駅 北区から荒川区にかけての隅田川上流沿いを歩く。堤防沿いを歩くので眺望が開ける部分は少ないが、それでも渡し船場跡やレンガ工場跡など見どころは多い。あらかわ遊園も楽しい。〔所要〕二時間」。

 

その樂しいあらかわ遊園地をめざして、ガイドブック〈『東京山手・下町散歩』(昭文社)〉の案内に從つて、今回は特に忠實に歩きました。二時五五分スタートです。 

裏通りの「郷土資料館」は工事中のやうでして、消防署前交差點からは眞東に紀州通りを進み、サミットの前で、遅い晝食のラーメンをいただき、そこからは路地に入り、最初のお目當ての醫王山淸光寺を訪ねました。 

山門を入ると延命地藏尊が迎へてくれましたが、めざすは、行基さん作と傳へられる不動明王像です。が、本堂は閉されてをり、ガラス戸から覗いても分かりません。かういふときはいさぎよく諦めるに如くは無し。

 

と、ふたたび紀州通りに出るやいなや、その名の起こりと思はれる紀州神社に出くはしました。『江戸名所圖會』に、「鎌倉時代後期、紀州熊野の鈴木重尚が王子村に来て、豊島氏と謀り、紀州の五十猛神社を勧請したのがはじまりです。」とある神社ですね。前回の王子権現から分かれたか移されたかして、ここに鎮座。「當社は昔より豊島村の産土神」であるさうです。 

この紀州通り、ハナミズキの竝木道になつてゐるんですね。ちやうど花見時でいい感じですけれど、低木なのでちよいと殘念。なんて思つてゐると、左に高層ビルがによきりと顔をだしたかと思ふと、それはトンボ鉛筆本社ビルでした。こんなところに、です! (つづく) 

 

今日の寫眞・・醫王山淸光寺の延命地藏尊。紀州神社。ハナミズキの竝木道。トンボ鉛筆本社ビル