五月三日(火)己丑(舊四月七日・上弦・憲法記念日 晴

 

今日の讀書・・やはり、昨夜寢つかれず、それでも咳がそれほどひどくはなかつたので、二月十一日から讀んできた、横山重著『書物捜索下』(角川書店)を讀み上げることができました。 

これはこれはすごい本でありまして、ぼくの古典文學とその歴史的視野をぐぐつと廣げてくれました。とくに、室町時代から江戸時代中頃までの書物とその捜索にかける著者の情熱には、畏敬の念さへ禁じ得ませんでした。 

その感化影響によつてぼくの藏書もだいぶ樣變はりしました。 

二月十一日に上卷を讀み終へ、そのときにも引用しましたが、あへて再度「本書編集委員」の方のお言葉を引用します。

 

「『書物捜索』 の著者は、類稀な蔵書家であり、愛書家だ。ただ、世間の書痴の徒との違いといえば、その等身大の業績だろう。神道集・本地物から全室町物語の本文化へ。・・・さらに連動的に説経・古浄瑠璃へと全活字化の成果を生みつつある。活字化を了した本文千余点。驚くべき精力である。まさに、『正しい本文以前に正しい研究なし』 という年来の信念の見事な実践である。それらの善き底本を得るための書物捜索の旅路五十年。その間巡り合った書物と人間への、これは、自由かつ克明な会見記である。」

 

それで、先日、横山重校訂『古浄瑠璃正本集一』(大岡山書店)を掘り出したのですが、この本を讀んでゐなければ見向きもしなかつたでせう。昭和十四年の出版ですが、その「序」を書いてゐるのが幸田露伴なんです。

 

「吾邦文學を概觀すれば、上代の文學は貴族文學であり、後世文學は庶民文學であつたと云つても宜い。其貴族文學から庶民文學に推移する中間に、強ひて云へば僧侶武士文學と云はるるものがあつて、又それに引きつづいて、文學暗時代が有つたのであるが、此暗黑時代が自然の趨勢として貴族文學の威燄(いえん・威圧・おどし)を熄盡(そくじん・終息させ)し、そして庶民文學の萌芽を發生せしめたのである」。

 

さういへば、『源氏物語』をはじめとする平安時代の日記や物語は、貴族文學でありまして、それはそれはすばらしいにしても、庶民文學が待ち遠しいですね。 

室町物語(お伽草子)や説經、古瑠璃なんか、庶民の娯樂であるとともに、知識のよりどころでもあつたわけです。 

 

つづいて、『源氏物語』〈桐壷〉の卷を、ほんとうに遅々とした歩みですけれど、どうにか、この十三日の、學習院さくらアカデミー、《源氏物語をよむ》 第二回講義までには〈桐壷〉を讀んでしまへさうです。 

 

今日の寫眞・・《5.3憲法集会実行委員会》主催の、「施行70年 いいね! 日本国憲法-平和といのちと人権を! 5.3憲法集会」が、有明防災公園(東京臨海広域防災公園)で行はれました。けれど、體調を考へてお休みしました。