五月十三日(土)庚子(舊四月十八日 終日雨

 

今日の讀書・・昨夜は、「桐壺」の豫習をしました。豫習と言つてもすでに讀んだところの復習でもありまして、今日の講義のために丁寧に讀みかへしたわけであります。 

改めて難しいと思ひました。お伽草子にくらべたら實に難解です。紫式部女史の思ひの複雑さを反映してゐるのでせうか。それをあれこれ細かく分解したり解剖したり、學者さんはたいへんだなと思ひながらも、また一方ではさらさらと讀んで樂しめればいいではないかなどと思つたりもします。が、まあ、そのための勉強ではあるのですが。 

さて、その成果はいかがだつたでせうか。 

 

あひにくの雨でありまして、今日は町屋から都電でまゐりました。學習院下停留所で降りると、學習院大學は裏から入ることになりますが、鬱蒼とした森の中を分け入るやうな道なんです。何だか、氣分までしよぼくれてしまひさうにな感じです。が、そこは氣力をふりしぼつて薄暗い校舎に向かひました。 

學習院さくらアカデミー、《源氏物語をよむ》 第二回講義(註)。講師は伊東祐子先生。今日は時間を間違へずに教室に入り、教壇の眞ん前に、先生の聲が耳をかざさなくても聞こえる位置に陣取りました。そして、嫌味にならないやうに、靑表紙本 『源氏物語〈桐壷〉』 を机上にひろげ、先生が讀んで説明してくださる個所の文字を追ひました。追へました。まあ、單語や語句の意味をできるだけ調べて書き込んでありましたので、文字を追ひつつ説明を聞くことができたのです。 

 

おかげで、いくつか質問もできました。それと、「皇子」か「御子」かの違ひが話されてゐた時には、「(くづし字)原文はどちらも 『みこ』 ですから、どちらかにすれば讀み手の解釋が入りますね」と、ちよいと突つ込んでしまひました。 

たぶん、今日の註釋書は、翻刻する際に漢字をあててゐるので、「皇子」と「御子」を文脈によつて書き分けてゐます。しかし、讀者はそれがもとは「みこ」であることはわからないわけですから、漢字の字義通りに讀んでしまひます。翻刻者といふか、註釋者の解釋をそのまま受け入れざるをえないといふことになります。 

これは、親切には違ひありませんが、一つの落とし穴でもあると思ひました。 

ちなみに、「皇子」にすれば、皇位繼承權が與へられる可能性がある「みこ」を意味するわけで、その他大勢の「御子」たちと斷然異なる存在なのでありますね。 

と、まあ、質疑應答ができたので滿足して教室をあとにすることができました。 

 

*註・・講座詳細 源氏物語を原文で読む講座です。源氏物語は今から一千年ほど前に、紫式部により書かれた五十四帖に及ぶ長編物語です。今回は新しく、源氏物語の始発・桐壷巻からです。源氏物語の主人公・光源氏の誕生前史、つまり桐壷帝と桐壷の更衣の悲恋から語り出されます。源氏物語を読み進めていくうえで重要な要素がつまっている桐壷巻からの絶好のス タートです。なぜ平安時代の言葉というハンディを越えて、ずっと読み継がれてきたのか、その魅力をごいっしょに実感してみませんか。 

 

その後、目白驛から高圓寺に回り、西部古書會館を訪ねました。雨降りだといふのに、大勢がつめかけてをりました。近頃は參考書にはあまり手を出さないやうにしてしてゐます。それで、今回の掘出し物は、『葛飾北斎挿画本集』 といふ和本でした。内容も挿繪も面白さうです。

 

さて、歸りは、高圓寺驛發四時五九分の千葉行きの電車に乘つて新小岩驛まで歸りました。が、その間、なんとちやうど四五分でした。 

今日は、もしやと思つて、もう十年以上も使つてゐる携帶ラヂオを持つて家をでたのです。五時からの 「古典講読」が聞けるかも知れないと思つたからです。その放送時間四五分とほとんど同じだつたのです。 

「古典講読」の本放送は、實は土曜日の午後五時からなんですが、ぼくは、いつもは翌朝六時からの再放送を聞いてゐます。で、今日はためしに聞いてみようとしましたら、電車に乘るやいなやはじまり、ちやうど終はつたのが、新小岩驛に到着したときでした。騒音がはげしくてよく聞き取れなかつたところもありましたが、ひととおり聞けました。 

それが、今日が、「猿源氏草紙」 の第一回めだつたんです。先走つてすでに讀んでゐましたから、聞くだけでよくわかりました。いやあ、勉強も疲れます。 

 

さうだ、今日は、ぼくたちの結婚記念日でした。歸宅して妻にほのめかされて氣づくなんて! 一九七三年から、四十四年たちました。 

 

今日の寫眞・・大塚驛前ビルからながめた都電荒川線。『葛飾北斎挿画本集』。長年愛用の携帶ラヂオ。最近は聞きづらくなつてきました! 

それと、ネットで拾つた、さくらアカデミーの講義の樣子。まあ、こんなものでした。參加者は、「最少催行人数」の八人ですけれど。