五月廿一日(日)戊申(舊四月廿六日・小滿 晴、暑い

 

今日の讀書・・昨日入手した、藤本泉著『源氏物語99の謎』(徳間文庫) があまりにも面白いので、一日中讀みふけつてしまひました。さらに、ちよいと書庫を見回したら、同じ藤本さんの、『歴史推理 王朝才女の謎 《紫式部複数説》』 が目にとまり、五年前に買つてあつたのを忘れてゐたことを思ひ出しました。 

ともに、「栄華を極めた藤原氏政權の時代に」、「反体制の物語」としか考へられない、『源氏物語』 が、一宮廷女官に書けただらうか。といふ主張です。〈まえがき〉に曰く、 

 

「『源氏物語』 の卷1「桐壺」には、光源氏の義母であり、秘密の愛人でもある 『藤壷女御』が登場します。わたしはこの名が、『藤原道長の長女彰子の、実際の『局名』であることがそのむかし、たいへん気がかりでした。 

紫式部が 『源氏物語』 を書いた、と言われるちょうどそのころ、彰子はずっと宮中の藤壷と呼ばれる御殿にいたのです。彼女はまちがいなく、公的な『藤壷女御』であり、『藤壷中宮』だったのです。 

では、侍女であり家庭教師であった紫式部が、この名を使って、『義理の息子と通じ、そこに生まれた皇子がやがて即位する』話など、絶対に書くはずがない──。わたしはそう考えました。また、万一そんなことをすれば、まづ、彰子の父道長が不愉快に感じ、紫式部は彰子に仕えていられなくなるでしょう。 

ところが紫式部は、彰子が皇太后になってからも、ずっとその側近として、親しく仕えています。これは紫式部が 『源氏物語』 の作者ではあり得ない、ひとつの大きな証拠です・・・。」 

 

以下、内容をさらに細かく檢討してゐるのですが、これでは、ぼくも、たしかにさうだと思はざるを得ないのであります。はい。 

 

今日の寫眞・・NHKプレミアム再放送、《京都御所 至高の美の守り人》 のエンディング。この御所が、1330年代に、里内裏だつたものが内裏となつたところであつて、平安時代の内裏とは異なるところであることを、どれだけの人が認識してゐるでありませうか! 

藤本泉著『源氏物語99の謎』 と、書齋に埋もれてゐた、『歴史推理 王朝才女の謎 《紫式部複数説》』。 『源氏物語』 の内容とは別に、書かれた時代の知識が深まります。 

それと、今日のココ。