六月十一日(日)己巳(舊五月一七日・入梅 曇り

 

今日の讀書・・『日本紀略』 が花山天皇の時代に入るところですので、ちよいと足踏みをして、『古都千年物語 平安朝日記(九八〇年代)』 を讀み進みました。 

けれどまた、源博雅が九八〇年に死んだので、そろそろ安倍晴明について調べやうとして、參考書を何册か出してきたはいいのですけれど、晴明の活躍はもつと後のやうなんです。生まれは九一八年と九二一年ですから、ほぼ同時代を生きてゐたのですけれど、晴明さんが五十九歳のときに博雅さんに死なれ、それから八十四歳までが、古記録にもしばしば登場する活躍の時期だつたやうです。それで晴明さんについては、『日本紀略』 をもう少し讀み進んでから取りかかりたいと思ひました。

 

そのかはり、『十訓抄』 を、影印の 『十訓抄』(古典資料) で讀んでみようと思ひたちました。先日讀んだやうに、紫式部の弟の 「藤原惟規の好事」 が取り上げられてゐましたし、「博雅三位の笛」 の話も出てきます。「和漢・古今の教訓となるべき物語を十綱目にわけて抄出し、年少者の修養に資した鎌倉時代の説話集。のちの教訓書の先駆となった」といふ書です。それに何よりも、ぼくのくづし字リテラシーの程度にちやうどあてはまつてゐるので、さらなる勉強のためでもあります。 

 

今日の寫眞・・昨日求めた、藤田元春著『都市研究 平安京變遷史 附・古地圖集』(日本資料刊行会) と、『心學繪入 道歌百首和解 全』 。二枚目は、『道歌百首和解』 の内容。「明日よりは あだに月日を 送らじと 思ひしかども けふも暮れつゝ」 と 「牛馬ハ皆 うし馬と よばるれど 人の人たる 人そすく なき」。 ごもつとも!

 

「道歌」といへば、仲代達矢さんが今夜のテレビで、至道無難禪師の道歌を口ずさんでゐましたね。 

「いきながら死人(しびと)となりてなりはてて、おもひのままにするわざぞよき」 

ふ~む、です。 

妻が書齋に飛び込んで來て、仲代さんの眼鏡を見てごらん。鼈甲のおなじ形のをかけてるよ、と言ふので付けて見たのです。はい、たしかにぼくのと同じやうでしたが、そのあとの場面では、異なつたたくさんの種類の眼鏡をかけてゐて、有名人には足元にもおよばないことを痛感いたしました。それで、その寫眞も一枚追加。

 

最後は、今日の切り抜きです。これを忘れてはなりません。さう、十三日(火)の午後六時半から、「共謀罪を廃案に! 安倍改憲NO! 市民集会」 が、日比谷野外音楽堂で開かれます。行かざあァ、ですね。