六月十四日(水)壬申(舊五月廿日 曇りのち晴

 

昨日の集會には出ませんでしたが、今朝の東京新聞には、その記事と寫眞が出てゐました。よく讀んで反省したことは申すまでもありませんが、なにしろ悔しいです。政權の姿は、それを許す國民のすがたを現してゐるのでせう。こんなばかな政權を支持してゐる國民の顔が見たい、と何度も言ひたい!  

 

今日の讀書・・先日注文した、吉岡曠著『源氏物語論』(笠間書院) と 影印の 『とりかへばや』(全三册・和泉書院影印叢刊) が屆きました。『とりかへばや』 は、東京堂で見た新刊では七〇〇〇圓ほどしてゐたのですが、日本書房で二〇〇〇圓。すぐに注文したのでした。また、『源氏物語論』 の著者は、武田宗俊著『源氏物語の研究』 の解説を書いてゐた方で、氣になつてゐたからでした。 

その〈序〉がまた、型破りといふか、樂しくなつてしまふやうな内容で、著書の内容もさることながら、吉岡曠さんの人物に興味がわきました。さう、〈序〉 を書いたのは、學習院大學文學部國文學科の、吉岡曠さんの指導教授の松尾聡さんといふ先生なのですが、この〈序〉 は、挨拶といふか、日頃の鬱憤をはらしてゐるといふか、著者の紹介がこんなんでいいのか、ぼくはびつくりでした! 

それでまあ、最初の論文 「源氏物語成立論の沿革と意義」 と、二番目の 「玉鬘系後記説の〈中心論概〉について」 は飛び飛びに讀んだところ、先日讀んだ、武田宗俊著 『源氏物語の研究』 の成果をまとめてゐる内容でしたので、よく理解できました。と、そこまで讀んで机の上に散らばつた紙片の一枚を見てびつくりしてしまひました。

 

實は、學習院さくらアカデミー、《源氏物語をよむ》 の第一回講義の際、ぼくは一〇分ほど遲刻をしてしまひ、配られてゐた何枚かの紙片をまとめてしまひ込んでしまつたのでした。ところが、そのなかの一枚が、「源氏物語五十四帖の構造」 と 「第一部の成立過程について」 といふ内容の印刷物だつたのです。迂闊でした。しかも、「第一部の成立過程について」 は、さらに、「玉鬘系後記説」(武田宗俊) について書いてありまして、なんてことはない、この説明を聞いておけば濟んでゐた事でした。 

いや、しかし、ぼくはぼくなりに、藤本泉さんの源氏物語の謎に導かれて、「著者複數説」に引き寄せられ、そして、武田宗俊さんの 「玉鬘系後記説」 にたどり着いたのでした。さもなければ、このペーパーの説明を受けただけではその重大さに氣がつかないで終はつたかも知れません。 

といふより、この 「玉鬘系後記説」 と 「著者複數説」 によつて、俄然 『源氏物語』 に對する興味が深まり高まつたので、これは幸先いいことかも知れません。 

 

今日の寫眞・・昨日の開かれた 市民集会」 の記事。東京新聞以外の新聞にも載つてゐるのでせうか? 

それと、今日屆いた古書。ネット通販も便利に使ひこなしてゐます!