七月廿四日(月)壬子(舊六月二日 曇りで蒸し暑い

 

今日の讀書・・今日、『源氏物語』、「玉鬘系後記説」による「紫上系」十七帖の第二卷、〈若紫〉を讀み終りました。靑表紙本」で一二八頁ありました。二週間かかりましたが、〈桐壺〉の七〇頁がやはり二週間かかりましたから、だいぶ速度が増してきました。 

〈帚木〉〈空蝉〉〈夕顔〉などの、「玉鬘系」十六帖は、短編的な插話ですから、「紫上系」十七帖を讀み通したあとで讀みたいと思つてゐます。ただ、「紫上系」十七帖は、「光源氏の誕生と榮華への道のり」を描いた完結した物語でありますから、これだけを讀んでもいいのかなと思つてゐます。 

 

さて、〈若紫〉の卷ですが、〈桐壺〉の卷の終りのところでは、源氏の君は十二歳でした。年上の葵上と結婚しましたが、父帝の女御藤壺に母の面影を見いだし、密かに思ひをよせるのであります。 

若紫〉では、源氏の君は十八歳。この間五年あまり。實は、藤壺がこの卷では妊娠したことが判明するのでありまして、それでは、この卷の前に二人はすでに結ばれてゐたわけで、(しかし、「玉鬘系」の〈帚木〉〈空蝉〉〈夕顔〉には描かれてはをりません)、それで、〈桐壺〉と〈若紫〉の間に、〈かかやく日の宮〉といふ卷が存在してゐたのではないかといふ憶測といふか論爭がありまして、大野晋さんと丸谷才一さんの 『光源氏の物語』(中公文庫) のその部分などを讀むと實に面白いのですが、今は省きます。 

それで、〈若紫〉の卷の概略を、覺えのためにも、記しておきたいと思ひます。 

 

光源氏十八歳三月から冬十月の話。 

瘧(おこり、マラリア)を病んで加持(かじ)のために北山を訪れた源氏は、通りかかつた家で、密かに戀焦がれる藤壺(二十三歳)の面影を持つ少女(後の紫の上。十歳ほど)を垣間見た。少女の大伯父の僧都によると、彼女は藤壺の兄兵部卿宮の娘で、父の正妻による圧力を氣に病んだ母が早くに亡くなつた後、祖母の北山の尼君(四十歳ほど)の元で育てられ十餘年たつたといふ。源氏は少女の後見を申し出たが、結婚相手とするにはあまりに少女が幼いため、尼君は本氣にしなかつた。 

北山の尼君はその後少女と共に都に戻つてゐた。晩秋源氏は見舞ひに訪れるが、尼君はそれから間もなく亡くなつてしまふ。身寄りのなくなつた少女を、源氏は少女の父兵部卿宮に先んじて自らの邸二條院に連れ歸り、戀しい藤壺の身代はりに理想的な女性に育てようと考へるのだつた。 

一方、四月、病で藤壺が里下がりし、源氏は藤壺の侍女王命婦の手引きで再會を果たした。その後藤壺は源氏の文も拒み續けたが、既に藤壺は源氏の子を妊娠してゐた。 

 

とまあ、十八歳の男にしては、いくら色好みを實踐することしか能がない、と言ふより、色好みこそ當時のかれらのご公務のやうなものでありますから、眞劍なんでせう。それにしても、少女の描き方がうまい。紫式部さんの筆でせうが、男心をくすぐる、匂ひ立つやうな少女の面影が目の前に浮かんでくるやうです。十八歳の男でなくたつて、胸が熱くなること必定です。 

 

今日の寫眞・・今日のココ。膝の上にやつとあがつてくれました。