八月七日(月)丙寅(舊六月十六日・立秋 晴のち曇天、夜一時雨

 

今日の讀書・・臺風が接近するなか、今日も、學習院さくらアカデミー、《源氏物語の引歌について学ぼう!!》 に出かけてきました。恆例となつてきた、大塚驛の驛ビルのスターバックスでコーヒーを飲みながら一時間ほど讀書し、階上の豚骨ラーメンをいただいたのですが、ぼくのお口には今一でした。麺が白つぽくてぱさぱさしすぎです。と、口直しもできぬまま、目白驛に直行し、敎室に向かひました。

 

回目は、「源氏物語の引歌の種々相」 にかはつて、同じく伊東祐子先生著 「源氏物語の 『鳥』 考」 をテキストにお勉強いたしました。 

ただ、その前段、「引歌の種々相」 のうち前回讀み殘してゐた、「浮舟」のところを讀みました。丸谷才一さんが、「閨秀の名論で無視されてゐるものがもう一つあつたつけ」と言ひ、さらに、「刺激的な研究で、敎へられるところ多大」な、「誰一人なし得なかつた探求である」と、『袖のボタン』(註) の「浮舟」の項なかで紹介してゐる、その論文の箇所であります。 

でも、丸谷さんは、浮舟のことだけを取り上げてゐるだけですが、前回學んだ、玉鬘、夕顔等それぞれについても言へるのではないかと思ひました。 

 

さて、今日も刺激的でした。いや、ぼくの個人的な感激かも知れませんが、昨日讀んで心動かされた文章もあらためて讀むことが出來ました。 

ところで、この論文の主題はといへばです。「本稿では、〈表〉(蟲、鳥、獣、魚の三十種類)の中から最も種類の多い鳥類をとりあげ、和歌あるいは漢詩の伝統を踏まえることによって、鳥というささやかな生き物の鳴き声・姿・羽ばたきに、どのように豊かな表現性がこめられているか、そして、こうした鳥たちが源氏物語のなかでどのような機能を果たしているのか、主として和歌との関わりを通して具体的に考察してゆくことにしたい」。

 

たしかに考察されてゐました。ぼくがいいなあと思つたのは、「梟」と、「郭公」と、「鴛鴦」と、「百千鳥」のところ、さう、今日學んだところみななんですがね。 

とくに、「源氏物語のなかで囀る百千鳥は、単に明るくうたう春の鳥を意味する歌語として取り入れられているのではなく、いずれも古今集歌のかげりをおびた述懐の気持がまとわりついた鳥として、作中人物たちの思いを喚起してゆくべく配されていると考えられる。」とあるところは、ぐつと胸に響きました。 

古今和歌集(春上二八) 「もゝちどりさへづる春は物ごとにあらたまれども我ぞふりゆく」。これは、春の歌にしては場違ひの感があるのでありまして、源氏物語の中で、たしかに、人生のかげりを感じさせる場面で適確に用ゐられてゐることがわかりました。 

 

臺風が近づいてきたのでまつすぐ歸宅しました。が、幸ひにも歸宅するまで雨も風もなく、むしろ暑い日差しが夕方まで差し込んでゐました。さう、今日は立秋なのでした。 

 

*註・・この、『袖のボタン』(朝日文庫) の最後の頁には、丸谷さんご自身の 「表記法について」が載せられてゐます。これはぼくの表記法のお手本でありまして、ただ、漢字の字體については、ぼくはできるだけ正字を使ひたいと思つてゐます。でも、パソコンには限界があるやうで、いつも齒痒い思ひをしてゐます。例へば、「社」と「者」です。變換すると、フォントが變はつてしまふのです。 

 

今日の寫眞・・お晝にいただいた豚骨ラーメン。それと、立秋の空。