八月九日(水)戊辰(舊六月十八日 晴、暑い

 

今日の讀書・・昨日につづいて、池波正太郎さんの 『西鄕隆盛』 を讀みつづけ、そして充實した氣持ちで讀み終へることができました。いや、西鄕さんはもとより、明治維新についてあらためて勉強させていただきました。  

 

内容を紹介しておきます。 

近代日本の夜明け、明治維新に燦として輝きを放つ西郷隆盛。「西郷は真の政治家でありながら、世に横行する政治家ではない。西郷は詩人の魂をもった理想家であり教育家であった。芸術家になっても、すばらしい業績をのこしていたろう。そしてさらに、西郷は軍人でもなかったのである」と著者が言い切った西郷隆盛の半世紀の足どりを克明に追った伝記小説。西郷を通じて描かれた維新史としても読みごたえ十分の力作。 

 

たしかに、常磐新平さんが、解説に書いてゐるやうに、「西鄕隆盛について私などは上野の銅像しか知らないといっていいのであるが、本書によって西鄕のみならず明治維新の革命の真相を理解できたと思う。」 あるいは、「『西鄕隆盛』 では池波さんから私は明治維新をまなんだ。そして作者の読ませる力にあらためて敬服した。」 と言つてゐる通りです。これは座右の書としたいですね。 

 

さう、忘れるところでしたが、參考にした本があります。東郷實晴著 『対照年表 西鄕と大久保』 といふ、古本で二〇〇圓で買つたものですが、けつこう詳しくて、とくに卷末の系圖と地圖がいいんです。系圖は、「島津家」と「西鄕家」と「大久保家」。地圖は、「西南の役における西鄕および薩軍の進退路圖」、「加治屋町出身偉人誕生地略圖」、それと、「南西諸島略圖」です。西鄕さんが二度にわたつて流された島の位置が一目瞭然ですし、「加治屋町出身偉人誕生地略圖」なんて、西鄕さんはじめ、大久保利通、大山巖、東郷平八郎、村田新八、篠原國幹等々が、同じ町内で生まれ育つたといつてもいいやうな環境だつたことがわかります。

 

ただ、この地圖において、惜しむらくは、池波さんの 『西鄕隆盛』 にある、西鄕さん退却路の地名、例へば、「祝子山と北川の分水嶺上を北走、地蔵谷に露宿し・・」とある「祝子山」「地蔵谷」、さらに、「和田越えの戦闘に」とか、「鹿川峠へ露宿したとき」とか、「板谷峠を経て」、「佐山峠から薩摩へ」とか、「吉野高原から」とある、地名がまつたく記されてゐないことであります。地圖を見ながら讀むのが大好きなぼくには殘念でした。 

いや、普通の地圖にないならそれはあきらめますよ。けれど、「薩軍の進退路圖」と銘打つてゐるのですから、どんな川を渡り、峠を越えたか、そんな細部にこだはつてほしかつたですね。 

ちなみに、この三つの地圖は、同じ著者の 『西鄕隆盛 その生涯』 の卷末にも載つてゐましたが、まつたく同じです。まあ、「その生涯」については、いづれ本書を讀みたいと思つてゐます。でも、郷土の作家のものつて、けつこうマニアックといふか細部にこだはりすぎてゐて、參考にするにはちよつと苦勞するかも知れません。こちらは、三〇〇圓でした。 

 

今日の寫眞・・東郷實晴著 『対照年表 西鄕と大久保』 と 『西鄕隆盛 その生涯』。