八月十五日(火)甲戌(舊六月廿四日・下弦・敗戰記念日 雨

 

今日は、先日注文した補聽器を受け取りに行つてきました。まづ、付け方と取り外し方を敎はり、取り扱ひと手入れについてもよく聞いてきました。 

さつそく、付けたまま歸つてきました。靜かなところでは、付けてゐるのが氣になりません。ところが、よく聞こえるやうになつたぶん、ある音については、金属音がギンギン響くのです。それほど大きな音ではありませんが、このギンギンが氣にならないやうに、慣れることが必要なんでせう。たしかに、今まで聞こえなかつた人の聲や音が聞こえるやうになりましたので、ありがたく思ひます。 

でも、考へてみたら、必要なときだけ聞こえればいいので、一日中裝着してゐる必要もないかなとも思つたりしてゐます。聞きたくない話や聲や音があたりに充滿してゐるわけですから、むしろぼくは靜かに本を讀んで過ごしたい。せつかく買つたのに、矛盾してゐますが、どちらかといへば、何も聞こえなくてもいいんです。はい。 

 

今日の讀書・・「日本の名著」の、慈圓の『愚管抄』 と 北畠親房の『神皇正統記』 を讀むに先立つて、附録 「中世貴族の思考形式」 を讀んでみました。永井路子と永原慶二(『神皇正統記』の譯者)と大隅和雄三(『愚管抄』の譯者)の鼎談です。これが面白い。呼び水としては實にいいですね。 

永井さんなんか、「親房という人は、いま会ったらこわい人だろうと思いますね。慈円のほうだと、そうじやなくて、『もっとなにかおもしろい特ダネなあい』とか言って、いろいろ聞きだせそうな」雰圍氣があるといふやうなことを言つてゐます。

 

それから、『今鏡』 の時代の約一五〇年の部分を、はじめに、短いはうの 『神皇正統記』 (執筆は一三三九年)を讀みました。北畠親房さん、讀者にわかつてもらはうなんて考へてもゐないのでせう、自分の覺書のやうな書き方で、事實が語られてゐます。が、氣になつたところがあります。

 

平治の亂で、「信賴は捕えられて首を斬られ、義朝は東国めざして逃げたが、尾張国で討たれ、さらし首にされた。義朝は重代の武士だったうえ、保元の乱のときの勳功もとくにすぐれていたが、父の首を斬らせたことは重い罪である。・・・義朝の行ないは子としての人倫の道にそむいているのだから、どうしてその身を全うできよう。義朝の滅亡は天理のあらわれである。」 また、 

「淸盛が権勢をほしいままにしたのはとりわけこの(高倉)天皇のときである。・・・この天皇の御代の末ごろ、所々で平氏に対する反乱の動きがあらわれた。淸盛一家の分をわきまえぬ栄華と専横な所業が天意にそむくものだからであろう。」

 

どうですか。「人倫の道」とか、「天理(天のことわり)」とか、はたまた、「天意」ですよ。歴史の流を「原理的なもので説明」しようとしてゐることにぼくは驚きです。 

『愚管抄』 のはうはまだ途中です。より物語的といふか、新聞を讀んでゐるやうな感じですね。事實の羅列ではなくて、説明を加へながらの論述といつたところです。

 

今日の寫眞・・今日は敗戰記念日です。東京新聞の切り抜きをもつて、ぼくの意見とさせていただきませう。今の時代を、後の人々はどのやうに評價するでせうか。「人倫の道」にもとる御政道だつたとは言はれるでせうね。事と次第によつては、「天意」をわきまえぬ愚衆の結果がこのやうな破滅をもたらした、なんて言はれたらどうしませう!