八月十七日(木)丙子(舊六月廿六日 曇天

 

産まれました。八月五日に預かつた妊婦ネコが、昨夜あたり子を産んだやうなのです。知らせてくれた妻に、見てみたいと言つたら、即座に「ダメ!」と言はれました。母猫が驚いたり、興奮したら、育兒放棄してしまふかも知れないといふのです。 

それでも見たくて、夕方、歸宅したあとで、再度聞いたら、いいといふのでそつと、産室ならぬぼくの書庫へ入りましたら、ゐました。子ネコはかたまつて母親にしがみついてゐるので分かりづらいのですが、どうやら六頭のやうです。母子ともに安定したら病院へで診てもらひ、その結果もらい手を探すか、さもなければ、不妊手術をしたうへで、再び町に放つしかないのでせう。 

はやく子ネコを抱いてみたい! 

 

今日の讀書・・子ネコたちに後ろ髪を引かれる思ひで、學習院さくらアカデミー、《『今鏡』を読む 王朝貴族の実相を考える》 の連續講義、その二回目に行つてまゐりました。 

讀むテキストは、先生がくださつた、國史大系本からのコピーですが、ぼくは、讀み通すことを考へて、古書店で求めた、関根正直編『校定 今鏡 一名續世継』(上中下、六合館、明治二十九年刊) を讀むことにしまして、はじめから、そして今日讀むであらう少し先まで通讀して臨みました。

 

さて、今日から、本文に入りました。「第一 すべらぎの上 雲井」 の途中まで。『今鏡』 が物語る、後一條から安德までの、その最初の後一條天皇の即位にいたるまでと、小一條院が東宮を退位せざるをえなかつた經緯、さらに、後一條天皇の元服までを讀んで學びました。 

先生のお話は、臣籍降下についてと、道長が三條天皇の子、敦明親王(小一條院)をいかにして排斥したかに多くついやされました。そのために、「帝王・源氏系圖」と「藤原氏系圖」を用ゐて、複雜な人物關係が詳しく語られました。たしかに、このことを頭に入れておくかおかないかは、以下の「物語」の内容理解を左右するでせう。 

それと、新しく敎へられることが多いのは當然のこととして、獨學の限界でせうね、やはり勘違ひや誤りがいくつも指摘された思ひがいたしました。 

ちなみに、次回は、二月から三月にかけて、やはり三回連續の講義がもたれるといふので、これにもつづけて受講しなければならないと思ひました。

 

昨日は、講義終了後、先生をかこんで、先日源氏のみなさんと歡談した、その同じレストラン(フィオレンティーナ目白)で、先生と先生の御旗本の方々(八割方が女性)の中に入り込ませていただいて、ご一緒にお話ができたのは、たいへん感謝でした。又、明日は明日で會食をする豫定なので、今日は直歸いたしました。ところが、妻から、「なんだ、まつすぐ歸ればこんなに早いのね」、と嫌味を言はれてしまひました。さう、三時半に歸つたんじゃあ、これからどのやうにごまかして古本屋めぐりをしたらいいのでせう? 

 

今日の寫眞・・講義で讀みはじめた 『今鏡』 の諸本のうちの、關根正直編 『校定 今鏡 一名續世繼』(上中下、六合館、明治二十九年刊) の和装本。それと、先週古書市で見つけた、全三册で三百圓の 『增鏡』。『今鏡』 と同じ出版社で、明治三十年刊です。掘り出し物でした。 

昨夜産まれた子ネコと母猫。デジカメのISO感度を6400にして撮つてみました。ざらつきが生じるのですが、フラッシュをOFFにしておいても、まあまあよく撮れるものです。おまけは、我がココちやん。どんな造作をしてゐるのでせう。よく分からん子です。