九月十二日(火)壬寅(舊七月廿二日 雨降つたりやんだり

 

今日の讀書・・なんだか食欲もでてきて、體力も回復しつつある、そんな氣がして、讀書にも力がもどつてきました。だからでせうか、夕べは、『好色一代男』 を讀むにあたつて、西鶴のことを知りたいと思ひました。けれども、數ある立派な單行本を避けて、かつて求めた、絶版文庫本の、武者小路實篤さんの 『井原西鶴』(角川文庫) を讀んでみることにしました。みましたけれど、とまらなくなり、結局、夜更かしして、讀み切つてしまひました。

 

武者小路實篤さんの 『井原西鶴』 なんて聞いたこともなかつたのですが、解説によると、武者小路實篤さん、「東西の一流と思はれる人物の傳記」をたくさん書いてゐるんです。實は、武者小路實篤さんのものは、學生時代に讀んでゐるんですが、どうも甘くて、見切りをつけたしまつてゐたんですね。それで、今回、數十年ぶりに讀んでみましたけれど、やはり甘いのは變はりなくて、傳記として讀んだらつまらん内容でした。

 

でも、話としては面白く、敎へられたことも多々ありました。例へば、「井原西鶴は、俳諧の松尾芭蕉、淨瑠璃の近松門左衛門と共に、元禄の三文豪と稱せられてゐる」ことなど、たしかに基本的な知識です。三人は同時代人であり、ライバルでもありました。 

井原西鶴といへば、好色一代男』 ですが、これは四十一歳のときの作品(註一)。西鶴さん、十五歳のころから二十餘年、俳諧師として活躍してゐたんです。有名なのは、「一日一夜、千六百句を速吟興行」をしたこと。つづいて、「一日一夜、四千句を獨吟興行」し、さらには、「一日一夜、二萬三千五百句」を獨吟興行したといふその道のつはものだつたんです。これには驚きました。「一日一夜、四千句」の場合、一分間に三句弱の詠吟です。

 

それと、淨瑠璃についても敎へられました。淨瑠璃太夫に、宇治加賀掾といふのがゐて(註二)、西鶴は、それに淨瑠璃(『暦』)を書いて、近松門左衛門が書いた竹本義太夫の淨瑠璃と勝負をするんですが、餅屋は餅屋で、近松・竹本組に敗れてしまうのです。そこのところに興味引かれました。淨瑠璃については、例の、横山重さんの 『書物搜索』 を讀んで、だいぶ刺激を受けましたからね。 

古典文庫には、横山重さんの編集やら校訂で、『古淨瑠璃集 加賀掾正本 一、二』 や、『古淨瑠璃集 出羽掾正本』、『説教淨瑠璃集 一』 なども出てゐて、もちろん見つけ次第入手してきました。それが俄然生きてきたのであります。 

 

註一・・『好色一代男』 浮世草子。井原西鶴作。88冊。天和2 (1682) 年刊。西鶴の浮世草子第1作。 54章から成る構成は『源氏物語』によっており,素材にも古典のパロディーがみられ,また遊女評判記や仮名草子などの先行作品の影響も受けているが,啓蒙的な姿勢を脱し,人間性を肯定的に描いた点で,仮名草子と明確に一線を画する作品である。前半4巻は富裕な上方町人の子である主人公世之介が,7歳で腰元に恋を知りそめて以来,従姉,仲居女,後家などを相手に恋を重ね,34歳で父の遺産を継ぐまでを描く。後半4巻は父の莫大な遺産をもとに,粋人世之介が江戸,京,大坂三都の遊里を中心に洗練された好色生活をおくり,各地の遊里をめぐり尽したあげく,60歳のとき,仲間7人とともに「好色丸 (よしいろまる) 」という船を仕立てて女護の島へ船出するまでを描く。 

 

註二・・宇治加賀掾(うじかがのじょう) 16351711(寛永12‐正徳1) 近世前期の浄瑠璃太夫。和歌山宇治の出身。謡曲を始めとして狂言,平曲,舞曲,小歌などの諸音曲を学び,それらの長所を意欲的に摂取した嘉太夫(かだゆう)節(加賀節)を創始する。1675(延宝3)京都に一座を興し,嘉太夫(当初は賀太夫)を名のり,77年には加賀掾を受領,85(貞享2)大坂での竹本座との競演には敗れたが,以後も京都を本拠に上方浄瑠璃界の第一人者としての名声を保ち続けた。その曲風は播磨節(井上播磨掾)に独自の繊細巧緻な語り口を加味した優艶流麗なものといわれるが,そのような音楽的洗練に加えて,詞章・題材の面でも文芸性を高め,また,歌舞伎の傾城事(けいせいごと)などをも大胆に取り入れて明るい当代性を獲得するなど,浄瑠璃を上品で深みのある芸能へと発展させる上で大きな功績を残している。 

 

『源氏物語 〈葵〉』 ももちろん讀みすすみました。けれど、今度の土曜日までに讀まなければならないこともないので、體調と氣力の樣子をみながら進んでゆくことにしました。 

それに、池波さんの、梅安さんものもありますしね、なかなかいそがしいのです。 

 

今日の寫眞・・『好色一代男』 の諸本。といつても文庫本ですが、戰前出版された二册に、檢閲をうけて 「伏せ字」 とされたところが見つかりました。それも、右から、昭和二年發行(岩波文庫)、昭和十二年發行(雄山閣文庫)、そして、昭和三十年發行(岩波文庫)です。みな同じところですので、くらべてみてください。このやうな 「伏せ字」 がなされる時代にもどしたくないものであります。はい。 

他人の子五匹を加へて十二匹を世話してゐるノラの母ネコがあまりにもいたはしいので、お乳にあづかれない子ネコに食事をあげることになりました。妻は未經驗。ぼくも初體驗。協力してくださる方のご指導を得て、どうにかあげることができましたが、まだ小さくてビービーなくので、かはいさうやら可愛いやらで、引つ掻かれたところから血が吹き出る始末です。