九月十九日(火)己酉(舊七月廿九日 晴のち曇天

 

今日の讀書・・梅安さんシリーズ最終巻の 『梅安冬時雨 仕掛人・藤枝梅安』 を讀了。前回もさうでしたけれど、一氣に讀むところに快感がありますね。いやあ、面白かつたです。惜しむらくは、これが池波さんの「絶筆」になつてしまつたことです。 

だいぶ前に、ブックオフで、「池波正太郎作家目録 池波作品を全制覇せよ!」なんていふパンフレット(?)をいただいたんですけれど、それによると、「池波作品」の文庫本は、小説はもちろん、エッセイ・ノンフィクション・対談、アンソロジーすべてあはせて、二四五册あるんです。出版社も多彩で、ぼくは、そのうちの、「鬼平犯科帳シリーズ」と、「剣客商売シリーズ」と、「仕掛人・藤枝梅安シリーズ」以外は、單品をつまみ食ひしたていどです。

 

ですが、藤沢周平さんの作品はほぼすべて讀みつくしました。人に薦められたとき、評判の作家やその作品などは敬遠してゐたので、ずつと遲くなつて讀みはじめましたが、藤沢周平さんに限つては、薦められたとき、もつと素直に早くから讀んでゐればよかつたなと思つたしだいでした。 

その、「藤沢周平作家目録 藤沢作品を全制覇せよ!」によると、このパンフレット(?)が作られた二〇一一年十月の時點でですが、同じく文庫本の册數は、八一册。池波さんの三分の一しかありません。が、池波さんはすべて讀む気にはなりませんが、藤沢周平さんの作品は、どんな短い小説やエッセイなどもすべて讀みたい、さういふ氣持ちといふか、欲求をいだかせる作家なんです。

 

ぼくの祖父は、藤沢さんや丸谷才一さんと同じ山形縣鶴岡の出身で、名前は、中村文四郎と言ひます。なにやら、藤沢作品に登場するやうな名前で、まことになつかしいといふか、親しみがもてるのも、大好きな一因かも知れません。 

それで、池波さんにつづいて、今日から、著作年代順の第一册、『暗殺の年輪』 から再讀しはじめました。パンフレットでは、シリーズ別だつたり、出版社別だつたりするのですが、ぼくは、できるだけ著作年代順に讀みたい! 

 

池波さんは一氣讀みしてこそ味はえる面白さですが、藤沢さんは、しかし、味はいつつかみしめながら讀んでいくべき内容の時代小説ですね。だからこそ、深い感動がわき上がつてくる、さういふ讀み方が求められてゐると思ひます。それでも早く讀むことは出來ます。 

ところが、それらにくらべて、一氣讀みできないのが、『源氏物語』 です。中村眞一郎さんは、一氣に讀むべきだとおつしやつてゐるんですが、なにせ解讀不能といふか、何度も何度も繰り返し讀んだところで、理解を拒んでゐるとしか言ひやうのない文章なんですね。註釋書の助けがあればこそ、さうかさうか、などと納得しつつ、一歩一歩階段を上がるやうな讀み方しかできないんです。もちろん、現代語譯を讀んでしまへば讀めないことはありませんが、それぢやあ、ぼくの 「寫本で日本古典文學讀破!」 の方針に反しますから、まあ、時間はかかりますが、あちこち寄り道や併讀しながら、我が命が盡きるまでに讀み終はればいいことにしませう。 それも、あまり長くはなささうなんですが・・・。

 

今日の寫眞・・「池波正太郎作家目録 池波作品を全制覇せよ!」 と 「藤沢周平作家目録 藤沢作品を全制覇せよ!」。

それと、祖父・中村文四郎とぼくの唯一のツーショット。祖父はぼくが四歳のときに亡くなりました。だから、魚釣りにつれていかれた記憶がぼんやりとあるくらゐしかないのが殘念です。