九月廿一日(木)辛亥(舊八月二日 晴

 

今日の讀書・・「靑表紙本」で讀む 『源氏物語〈葵〉』、今日は久しぶりにはかどりました。全一一八頁のうち、九〇頁を越えましたから、もう先が見えてきた感じです。 

しかも、今日のところは、會話や心境を述べる體の小難しい文章ではなく、状況説明が主でしたので、わかりやすく、しかもとても興味深い内容でした(今日の寫眞參照)。

 

最初の行の「うつせみ(空蝉)」とは、葵の上が亡くなつたので、入婿としての源氏はその家から出て行くことになり、その空になった部屋のことです。その空になつた部屋に、義理の父、葵の上の父親である左大臣が、入つて來た場面です。 

「うつせみのむなしきここちそし給ふ」 とあり、つづく室内の描寫がいいのです。

 

几帳の前には硯などが置かれ、源氏が書き損じた反古(ほご)が散らばり、それを手に取つた義父大臣(おとど)が涙をおさへてゐるのを見た(葵の上づきの)若い女房たちが、くすくす笑ふところなんか、微笑ましい反面、娘を失つた父親の悲しびが眞に迫つて胸が熱くなります。 

反古には、唐・大和の詩歌が書き散らされ、草假名と眞名(漢字)の樣々な書體が見られ、左大臣、思はず 「見事な筆蹟だ」 と、「そらをあふきてなかめ(感嘆し)給ふ」、のであります。

 

まあ、このやうな文章ばかりであれば、ぼくの心臟の負擔も輕くなるんでせうが、息が詰まるやうな心理のあやを物語られてばかりゐては、たまつたものではありません。紫式部といふ女性はどんな神經をお持ちだつたのでせう? 

 

それと、藤沢周平作さんの第一册、『暗殺の年輪』 (短編集ですが、そのなかでも著作年代順に) 讀み出しました。この初期の作品は、後の作品にくらべたら暗いと言はれてゐます。いや、重くてどろりとしてゐると言つたはうがいいのかも知れません。たしかに、池波さんのをエンターテイメントとすると、讀む者の心を捕らへ、物語の世界にひきづりこんではなさない、それだけに讀む者のこころは疲れてしまふと言へると思ひます。 

でも、いい。何がいいのでせうか。讀む者を自分の現實に目覺めさせ、地に着いて歩むよう勵まし叱咤するからでせうか。ぼくはそんな感じがします。 

 

今日の寫眞・・母なき子ノラの子。その中でも一番成長のおそい子は、滿足にミルクも飲めないのであります。それにひきかへ、勉強の邪魔をするモモタ、もまた可愛いのですけれど。 

今日の 『源氏物語〈葵〉』 の、興味深い頁。